ブラックベリーとマシンガン02



 は真新しいキャリーケースを引いて搭乗口に向かっていた。
 このキャリーケースは、彼女が恋人のシャルナークにプレゼントしたモデルと色違いのお揃いだ。
 時間ぎりぎりでようやく待ち合わせ場所のエアラインの前に到着する。彼の姿はまだなかった。

「シャルが時間に遅れるなんて、めずらしいわ」

 キャリーケースに腰を下ろし、バッグから携帯電話を取り出す。画面にはメッセージが2件、と表示されていた。
 さっそく確認すると一件目は少し慌てたシャルナークの声で、出発を明日にして欲しいとの内容だった。忙しい彼のことだ、何か緊急の仕事でも入ったのだろうと納得。直留守にしていたせいで受信にまるで気がつかなかった。

 二件目は直留守にした原因とも言える相手からのコールで、出発が延期でなければ全力で無視するところだが、幸か不幸か一日フリーになった。内容だけでも確認するか、と彼女は生理的に好かない男の番号をコールした。

『空港ですか?』

 電話口の男は開口一番そう言った。背後ではカキン国行きの搭乗手続き開始を知らせるアナウンスが流れている。は無駄口をたたく意思がないとばかりに「メッセージ聞いたわ」と切り出した。

『それは受けていただけると了解してもよろしいのですか』
「内容次第よ」
『ふむ、まあいいでしょう。ターゲットのレベルはフォルツァンド、納期はプレストです。どうなさいますか?』
「フォルツァンドにプレスト?それを私一人にやらせるって言うの?」
『いえ、もう一人、クインテットのライラを控えさせております』
「メゾ・フォルテならともかく、フォルツァンドにライラと二人でなんて冗談じゃないわ」

 明日の朝には南セレティア島に飛ぶのだ。万が一怪我でもしたらせっかく新調した水着が無駄になってしまう。

「断るわ、悪いけど」
『それは残念ですね。今回の件、ボスが是非さまに任せるよう仰っておりましたのに』
「え!?ボスが?」

 の声がにわかに浮き立つ。電話口から肯定を伝える短い返事があった。

「わかった、受けるわ」
『即断、ボスもお喜びになると思います』
「……本当なんでしょうね?その、ボスが私に」
『もちろんです、あなたは優秀な暗殺者です。ボスもあなたには期待しているのですよ』

 頬が緩みそうになるが、そんな自分を律しては冷静な声で言う。

「取り合えず、そっちに行くわ」
『ご足労には及びません。ターゲットの名はシリル=ブリュノー、詳細はライラに伝えてありますので直接落ち合って頂きます』
「そうね、プレストだものね」

 携帯電話を握る手には汗をかいていた。
 バカな安請け合いをしたものだ、と自分を諌めながらもボスの名を出されると一も二もない。そこに強制力があるわけじゃなく、彼女の意思だ。尊敬するボスの役に立ちたいのだ。
 はキャリーケースを空港のクロークサービスに預け、エスカレータを降りてタクシー乗り場に出た。


 はとある組織に所属する暗殺者だ。
 組織名はなく、ゾルディック家のように素性を明かすことなく息を潜めて裏社会で暗躍している。現ボスが一代で立ち上げた組織だが、迅速で確実な依頼遂行に高い評価と信頼を得た新進気鋭の暗殺集団だ。

 ターゲットのレベルと納期は音楽用語で表され、それによって料金が異なる。
 今回受けた依頼は、ターゲットのレベルがフォルツァンド(特に強く)納期はプレスト(極めて早く)、つまりターゲットのレベルは最強クラス、納期はただちに処理しろとのことだ。
 所属する暗殺者は実力によって七段階に分けられ、二重奏(デューオ)から八重奏(オクテット)にランク付けされている。数が多いほど有能だと言うことだ。

 タクシーの車窓から流れる景色を眺めながら、はシャルナークの背中を思い出していた。背中ばかりが頭に浮かぶのは、彼がいつもパソコンに向かっているからだ。

 容姿端麗なに言い寄る男は多いが、過去に半年以上続いた関係はなかった。
 彼女の生活は仕事柄不規則になりがちで、少しばかり包容力のある男でも最後には疑心暗鬼になって離れていく。
 浮気してるんじゃないのか?気持ちが変わったんじゃないのか?繰り返される尋問にうんざりしてから別れを告げるケースもあった。

 そんな中、シャルナークが現れた。
 彼は探偵事務所で情報収集の仕事をしているだけあって、以上に不規則な生活を送っている。おまけに没頭しやすい性格もあり、は自分の都合の良い日にだけ彼のマンションを訪れた。

 過度な干渉をされることもなく、互いを高めあえる知性とよく似た性格。
 二人にとってこれ以上の相手はおらず、一般的にはどうあれ本人たちはいたって幸せだった。

 先日、思いついて彼女は恋人にキャリーケースをプレゼントした。
 病的に引きこもる彼を連れ出すためであり、休みなく働く彼に休息を取ってもらいたいとの意味も込めて。
 放置され、部屋の壁といつしか一体化するだろうとの予想を裏切り、シャルナークはを旅行へ誘った。思い返せば血塗れた生活を送っていた彼女には仕事以外での旅経験がなく、この度の旅行を心底喜んでいた。


***


 はエージェントの男から指示された落ち合い場所、リトルチャイナ地区でタクシーを降りた。
 今回同行するライラはの2ランク下、五重奏(クインテット)に属するいけすかない女だ。自己顕示欲の塊で、仕事でなければ極力関わりたくないタイプ。

 約束の時間ぴったりに、目抜き通りにあるレンガ色の神奇(シェンチー)という名の大衆食堂に着いた。
 ダストボックスに入りきらないゴミが散乱した薄暗い裏口で、奇抜な髪型をしたライラが待っていた。暗殺者がこんな派手な成りで良いのか、と内心苛立ちつつ声をかける。

「ターゲットはどんなやつなの」
「情報によると、A級の犯罪者みたいです」
「A級首……?そりゃフォルツァンドにもなるわね」

 が肩をすくめて見せる。ライラは妙に落ち着かない様子でうなずいた。
 いつも会うなりお喋りが止まらないくせに、やけに口数が少ない。

「あんた、今日はいやに大人しいのね。どうしたの?」
「え?……相手がフォルツァンドだから、緊張してるんです」

 普段は図太いライラも初のフォルツァンドに不安を隠せないようで、それはにしてもそうだ。二人は手早く打ち合わせをしてターゲットのいるマンションに向かった。

 ターゲットを殺り損なうことは、実はままある。
 それなのになぜ我が組織が100%の遂行率を誇っているのかと言えば、すぐに次の刺客がターゲットを追うからだ。一度目は返り討ちできても二度目、三度目、と短いスパンで狙われればどんな能力者でもいずれぼろが出る。
 人は完全に消息を絶つことはできない。実際、今回のターゲットも優秀な諜報員の手によって居場所が特定された。

 組織が一番恐れているのは情報の漏洩で、たち暗殺者には鉄の掟がある。
 殺せないと判断した場合は速やかに引くこと、それが不可能な場合は自害すること。この二つだ。


 エレベータは使わず非常階段で10階まで昇り、ライラは踊り場で待機、はさらに上階に昇った。
 A級首ともなれば当然念能力者、それも相当の手練だと思って然りだ。
 しかし訓練で培った彼女たちの完璧な絶を見破れる人間は優秀なハンターでもそうはいない。
 常に神経を研ぎ澄ませているならいざしらず、どんな能力者でも24時間1分1秒に至るまで集中して過ごすなど不可能だ。

 目的の部屋は10階の1012号室、ターゲットは現在一人で在宅している。これは諜報専門の能力を持った仲間から届いた確かな情報だ。
 は11階の1112号室に侵入した。真上に位置する部屋で、情報通り家主は不在だ。堂々と室内を歩き細心の注意を払いつつベランダに出る。そのまま階下へと飛び移り、ガラス越しに人影を確認した瞬間、間髪入れずに能力を発動した。
 彼女の腕に愛用のサブマシンガンが具現化され、けたたましい音と共にガラス片が飛び散った。
 弾丸はただの鉄と火薬の塊ではなく、ある特殊能力がつけられている。誓約と制約だ。

 普通のターゲットならここで終わりだが、ある程度の能力者の場合、の能力発動に合わせて一瞬早く逃げることも多い。そのための挟み撃ちだ。控えていたライラが後ろから同時攻撃。彼女も当然念能力者だ。

 だが計画は失敗に終わった。ライラはなぜか現れず、惨状となった室内にはターゲットの男が一人、涼しい顔で立っている。絶すらせずに堂々と待ち構えており、隠すつもりのないオーラの量は彼女の想像を遥かに超えていた。
 速やかに退くか、自害か。
 は一挙動でベランダに逆戻りするが、寸前のところで後頭部に衝撃を受ける。そこで意識は途切れた。




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