QUWROF.2



 静まり返った廃墟にキーボードを弾く音だけが響く。その音がふっと止み、シャルナークは長いため息をついた。

「やっぱ無理だよ、サリーって名前だけじゃ」

 早々に白旗を上げるのは彼のポリシーに反するが、今回は分が悪い。シャルナークの気持ちを代弁するようにパクノダが言った。

「そのサリーって名前、本名ではなさそうだものね」
「通り名ですらねェかもな」

 言葉をついだのはフィンクスだ。シャルナークの周囲を囲むようにノブナガ、ウボォーギン、パクノダ、フィンクス、マチの顔が並んでいる。
 フィンクスの言う通り、魔術師サリーは通称ですらなかった。その名での活動履歴はなく、似たような事例やサリーという名前単体でも検索してみたが、そうなると今度は膨大なデータが無尽蔵にヒットしてしまう。
 それらを一件一件精査するなど不可能で、いかにやり手の情報処理担当と言えど、手がかりが信憑性のない名前一つではどうにもならない。

「せめて何か一つでも特徴がわかればなあ」

 特徴でも行動範囲でも、口ぐせでも食べ物の嗜好でも何でもいい。何かとっかかりが欲しい、とシャルナークは思う。現段階ではサリーが男なのか女なのか、生きている人間なのかすらわからない。能力者の死後も念能力だけが生き続けるケースは実は多いのだ。
 ならば除念師をあたるか。しかしそれも等しく難題だ。
 あの本一つで他人のオーラを奪う能力を鑑みれば、よほどの術者でもない限りとける念ではない。ただでさえ除念師は希少だ。それほどの凄腕を探すとなれば、相応の経費と時間がかかる。少なくとも一週間やそこらでは不可能だ。

 仲間から距離を取り、瓦礫に腰かけて一人佇むクロロも同じ考えに至っていた。
 そうなると残された方法は一つ。しかし誰もが口にできずにいる方法。

「つまり、団長が千人切りすりゃいいんでしょ」

 あっけらかんと言ってのけたのはマチだ。仲間からの驚愕の視線を浴びて、彼女はようやく自分の発言がこの場にそぐわないものだと気づく。マチはばつが悪そうに付け加えた。

「……だって、そうすりゃ戻るんだろ。団長の能力」

 1000人の異性に愛をささやく。それは砂丘から落とした宝石を探し出すよりはずっと簡単な作業だ。
 ましてやクロロ=ルシルフルなら、その美貌と口先だけでいくらでも女が寄ってくる。むしろ彼以上にこの呪いの適任者はいない。

「それにしても、千人切りって……」

 ぼそっとつぶやくシャルナークの声を、豪快な笑い声がかき消す。

「確かにな!団長なら1000人くらいすぐだぜ」
「そりゃそうだ、何せ団長だからな」

 ウボォーギンとノブナガが顔を見合わせて笑う。

「まあ、それが一番現実的ね」

 説得力のある声で言ったのはパクノダだ。一同が揃ってうなずく。これで万事解決、というムードが漂い始めた頃に、一オクターブ低くなった声が割り込んできた。

「……お前等、楽しんでないか」

 クロロがゆらりと立ち上がる。外面的な変化はないが、瞳だけが射抜くように鋭い。これでいつものオーラがないとは信じがたい迫力だ。だが、実際にないのだ。
 念を覚えて以来、眠っているときですら身にまとう「纏」もなく、一般人並みの微弱なオーラだけが彼を包んでいる。
 クロロの強さは念能力だけに頼ったものではなく、そのずば抜けた体術だけでも並みの使い手なら応戦可能だが、それなりの能力者に出くわせば今の彼では太刀打ちできない。場合によっては命すら落とす。まったくふざけた呪いではあるが、直面した問題は思いの外深刻だ。

 気まずい様子で口をつぐむ団員たちを一瞥して、クロロは考えをめぐらせる。

(愛をささやく、か……)

 しかし、例えば「愛してる」と言わせたとして、それはどうやってカウントするんだ。
 クロロはパクノダとマチを順に見る。今この場にいる女は彼女たちだけだ。だがすでに概要を知っているため効力は期待できない。たとえ知らないにしても出来る限り避けたい。彼とてそこまで無節操でも厚顔でもないのだ。

(……仕方ないな、適当に調達して様子を見るか)

 クロロは仲間たちの元に歩み寄った。

「俺は出てくる。シャルは引き続き「サリー」の正体を調べろ。他は好きに解散していい」

 シャルナークが「アイサー」と片腕を上げる。ロングコートのポケットに両手をさし込むと、クロロは振り返らずにアジトを後にした。


***


「な、な、なに、これ!?」

 は思わず声を上げた。目の前の小瓶にたった今送り込まれたオーラは、質・量共に申し分ないだけでなく、まるで透過するほどに澄んでいる。これほど綺麗なオーラを目にしたのは初めてだった。

 いったいどんな使い手が自分の罠にかかったんだろう。彼女は考える。
 中学の理科の実験室にでもありそうな飾り気のない長机には、大小様々な形のガラス瓶が整頓されて並んでいる。
 その半分ほどに、未だクリアしていない念能力者のオーラが閉じ込められている。だいたいが白濁しているか混ざり気があるかで、同じものは一つとしてない。人間にも個性があるようにオーラにもちゃんと個性がある。それらは風に煽られた蝋燭の火のように不安定に揺れていた。

 一つ一つに様々な呪いをかけているのだが、いろんなパターンをつくりすぎて覚えていない。呪いというのは彼女がそう呼んでいるだけで、実際には念能力だ。所々に空の瓶があるのは、その罠にはまだ誰もかかっていないことを示している。
 そして、その内の一つが突如溢れんばかりに満たされた。

 は小瓶に手を伸ばし、おそるおそる持ち上げる。万が一手を滑らせて割ってしまえばオーラは持ち主に戻ってしまう。自然と慎重になった。

 小瓶を高く掲げ、下から覗き込むように凝視する。不純物の一切ない、上澄みだけをすくったような透明なオーラ。だが驚いたことに、一たび見る方向を変えると漆黒に染まる。は背筋に寒気を覚えた。
 奪ったオーラは彼女の支配下にあり、おそれる対象ではないのだが、それでも両腕にはびっしりと鳥肌が立つ。このオーラの持ち主は、まず間違いなく裏社会に生きる人間だ。

 獰猛でありながら冷静沈着。そんな人物像が浮かぶ。オーラの表面はぴたりと静止したままで、深い森にひっそりと佇む湖面のようにさざなみ一つない。

(……信じられないほど上物だ)

 この人物にはいったいどんな呪いが降りかかったのだろうか。

 彼女の課すクリア条件は、往々にして達成可能なものが多い。がんばればできるかな?程度で、なるべく時間がかかるものをチョイスしている。クリアの条件を示すのは制約の一つだ。

 相手が呪いにかかってしまえば最後、どれほどの実力者だろうがオーラの放出を止めることはできない。だけど実際には奪うのではなく一時的に借りているだけだ。の実力ではそれがせいぜいで、永遠に奪うなど到底無理な話だ。それもあくまでオーラのみが対象となり、必殺技的なものが使えるわけではない。

 願わくば、この極上のオーラが少しでも長く私の手の中にありますように。
 は一人でこっそり合掌した。




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