ViVi06



 サニタ地区へ出かけた日を境に、は外出を許可されるようになった。短時間かつ近場という制限があり、初めのうちはナランチャも同行したが、そのうち一人でも出歩けるようになった。

「やあ、ブチャラティは元気かい?」

 陽気な声に呼ばれ、は慌てて顔を上げる。粉砂糖が唇についているのを指摘され、少女は急いで口をぬぐった。テイクアウトの焼き菓子を広場のベンチで食べているところだった。

「うん、元気よ」
「おや、調子はどうだい?今度店にも顔を出すようブチャラティに言っといておくれ」

 別の方向からも声がかかる。はそちらにも会釈して、立ち去る背中に手を振った。
 ブローノ・ブチャラティはギャングだが、住民からとても慕われ、信頼されている。これは通常ならば信じ難いことだ。
 少女の住んでいた地区にも当然ギャングはいたが、信頼よりも畏怖の対象で、それが普通だとも考えていた。
 彼自身はあまり口数も多くなく、ともすれば冷酷に見える瞬間もあるが、ブチャラティと生活を共にしたこの数十日で、その裏にある優しさをはもう十分理解していた。

 焼き菓子を食べ終わると腰を上げ、スカートに落ちた砂糖を払う。この焼き菓子もケーキ屋の主人が持ってけと持たせてくれたものだ。

 が今いる広場は、密集する建物の間にぽっかり空いた空間で、グラウンドほどの広さがある。中央には片腕を空に掲げた男性の銅像が建ち、オープンカフェやベンチで休憩する人々を見守っているようだ。
 目の前をジェラート片手の観光客が通り過ぎる。その向こうで、背中の曲がった老婦人が慎重な足取りで歩いている。が「あ」と思ったときには婦人はつまずいていた。

「大丈夫ですか?」
「ええ……ええ、大丈夫よ」

 駆け寄って身体を起こす手助けをする。散らばった荷物も拾い集めた。

「最近膝が痛くって。ダメねえ、もう杖が必要かしら」

 婦人は力なく微笑むと、に礼を伝えて再び歩き出す。とても小さな背中だった。

「あの……良かったら、荷物持ちましょうか」

 たまらず声をかけると、白髪の頭がゆっくりと振り返る。

「ありがとう。でも家はすぐそこなのよ」
「それならいいんです」

 不審に思われたかもしれない、はとっさに思った。会釈して立ち去ろうとすると「待って」と声がかかる。
 老婦人は目尻に刻まれたしわをいっそう濃くして微笑んだ。

「でもね、うちは階段なの。この荷物を持って上るのは少し大変だわ。お嬢さんが持ってくれれば助かるのだけれど」

 広場に面した靴屋の二階が彼女の自宅だった。二階へ上るには錆びた鉄製の外階段しかなく、老齢の女性には確かに骨が折れる。手荷物を持ってしまえば足場も見え辛い。
 荷物を運び、が辞去しようとすると、老婦人は再びを引き留めた。

「良かったら、お茶でも飲んでいかない?ビスコッティもあるのよ」
「でも……」
「少しくらいいいでしょう?それとも、お家の方の許可が必要かしら」
「……はい」
「じゃあ電話をかしてあげるわ」

 結局は彼女に押し切られる形で自宅にお邪魔した。
 ブチャラティから渡された連絡先のメモは常に持っている。念のためコールするが、無機質な機械音が彼の不在を告げる。は仕方なく伝言だけを残した。





 ギャングの仕事は賭博運営、高利貸しの運営、港の密輸品の管理、レストランや商店のみかじめ料の徴収など様々だが、その他にも住民から日々寄せられる相談事への対応などがある。
 もちろん全て対処するわけではなく、警察が介入できないケースで手助けが必要だと判断した場合のみ、相応の報酬を得て彼らが動く。今日もそんな案件を処理するため、アバッキオとナランチャが駆り出されていた。
 フーゴとブチャラティはいつものリストランテで別件の打ち合わせをしていたが、ひと段落つき、フーゴに留守を預けて彼は一人店を出た。

 大きな商店街を通り抜け、危険なスペイン地区を経由しつつ縄張り内を一通り歩く。彼はこうして日に一度は巡回目的で街をまわっている。
 ブチャラティの姿を見かけると、街行く人々は気さくに声をかけ、手を振り、時に話しかけてくる。そのまま立ち話になることはざらで、彼はギャングでありながら老若男女から慕われている。

 ブチャラティにとってそれは日常であり、大切な仕事の一つでもあったが、彼はこのところ小さな変化を感じていた。

「ようブチャラティ、元気かい?」
「まあまあだ。そっちはどうだい?腰の調子はまだ悪いのかい?」

 話しかけてきた馴染みのケーキ屋の主人は、ブチャラティの言葉に上機嫌に答える。

「それがな、最近は調子が良いんだ。まったく痛まないワケじゃあないが、以前みたいな激痛はない。おかげで立ち仕事も苦じゃあなくなったよ」
「そいつは良かったな」

 ブチャラティは笑みを浮かべる。いくらか雑談を交わした別れ際、店主は思い出したように付け加えた。

「そう言やあの子は元気かい?」
か?ああ、元気にしている。いつも菓子をもらっているようですまないな」
「いいんだよ。あの子はちょいと不愛想だが素直な良い娘だ。あの子と喋ると不思議と元気になるんだよ」

 男は陽気に手を振って去った。

 最近、のことを気に掛ける住人が増えた、とブチャラティは感じていた。それは悪いことではない。も徐々にこの街に馴染んでいるということだ。
 先日は、靴屋の二階に住む老婦人ーブチャラティも知るゴメスという名の婦人だーの自宅に呼ばれ、一緒にお茶をしたという。ブチャラティはそれを携帯電話の伝言メッセージで知り、帰宅後本人からも聞いた。
 少女はためらいがちに告げたが、どことなく嬉しそうでもあり、楽しい時間だったことはブチャラティにも伝わった。

「ブチャラティーッ!」

 背後から名を呼ばれ、彼は歩を止める。見ると任務を終えたらしいナランチャが駆け寄って来ていた。アバッキオの姿もある。

「首尾よく終わったぜブチャラティ」
「ご苦労だったな。詳細は中で」

 ちょうどリベッチオに到着し、三人は店内に入る。シエスタ(昼休憩)も終わり、フロアにはちらほらと客の姿があった。
 奥の個室に行くとフーゴが一人待っていたが、彼はブチャラティの姿を見るや腰を上げる。

「ブチャラティ、待っていました」

 テーブルの上に見慣れない紙袋が置いてある。中にはアーモンドの練りこまれたビスコッティが入っていた。

「うまそーッそれ食っていいの?」

 ナランチャが前に出ようとするが、ブチャラティが腕で制止する。

「誰か来ていたのか」
「ついさっきまであなたを待っていたんです。ダンテ広場の靴屋の二階に住んでいるというご婦人です」
「ゴメスさんか?」
「ええ、そんな名でした」
「それなら、これはオレあてじゃあないだろう」

 ブチャラティがかすかな笑いを含んだ声で言う。フーゴは驚いた顔をした。

「そうです。これはあの娘、へ渡してくれと頼まれました」
「オレから渡しておこう。ゴメスさんはお元気だったか?確か、膝を悪くしていたと聞いていたが」

 存外おしゃべりで、話し出したらなかなか止まらない老婦人の姿を思い浮かべながら、ブチャラティは椅子に腰かける。アバッキオとナランチャもそれぞれテーブルについた。

「膝……ですか?」

 首を傾げたのはフーゴだった。彼は一刻考えて、すぐに言う。

「特に、膝が悪そうには見えませんでしたね。スタスタ歩いていましたし」
「そうなのか?」
「ええ。そう言えば、あの娘と会ってからやけに調子が良くて、元気になったとも言っていましたね」

 フーゴが軽く笑う。口を挟んだのは意外にもアバッキオだった。

「そう言やフェルローネのじいさんも似たようなこと言ってたぜ。あの娘、えらく人気モンじゃあねえーか」

 アバッキオが乾いた笑い声を上げる。フーゴもナランチャも笑ったが、唯一ブチャラティだけは押し黙っていた。
 彼の変化を機敏に察したアバッキオが笑いを消し、その表情を引き締める。

「どうかしたのか、ブチャラティ」
「フェルローネのじいさんはなんと言っていた」
「あ?」
「おまえさっき言っただろう。じいさんも似たようなことを言っていたと。”似たようなこと”って何だ」

 口調はいたって冷静だが、その瞳は射抜く様に鋭い。アバッキオはやや気圧されぎみに答えた。

「何って、フーゴが言ったのと同じだぜ。あの娘と会うと元気が出る。最近ひでえ頭痛が悩みの種だったんだが、そいつも良くなったとか言ってたぜ」

「こんな偶然が……あるのか?」

 ブチャラティは腰を上げ、押し殺した声で言う。目線はテーブルを睨みつけたままだ。

「おいブチャラティ、いったい何を言っている?」
「ちょっと待ってくださいアバッキオ」

 突然声を上げたフーゴが、緊迫した顔でナランチャを見る。「ナランチャ、おまえも確かそんなこと言ってたよな?……ええと、あれは確か」フーゴはもどかしげに額を押さえる。名指しされたナランチャは怪訝な顔をした。

「なんだよフーゴ、オレが何だって?」
「そうだッ!集金日だ!おまえあの日、やけに調子が良いって言ってたよな?何か妙だとは思ってたんだ。そうか……これは」
「フーゴッ、てめえも何を言ってやがる。サッパリ見当がつかねえ」

 その問いかけには答えず、フーゴはブチャラティに顔を向ける。確信をもって向けられた視線に彼はうなずいてみせると、決然と言った。

「そうだ、フーゴ。これはおそらくのスタンド能力だ」




| text top |