ViVi05



 快晴の空に所狭しと洗濯物がはためく。やや上り坂の狭い路地には古い集合住宅がひしめくように建っている。違法駐車だらけの石畳をしばらく進むと、所々外壁が剥がれた五階建てのアパルトメントが現れる。一階の角から二つめの部屋が、と父親が暮らしていた部屋だ。

「ブチャラティ……?」

 は数歩前を歩く男に声をかける。ブローノ・ブチャラティはアパルトメントの前で一旦足を止めたが、すぐにまた歩き出していたのだ。

「私の家、そこだよ」

 指をさしてが言う。知らないのだろうか、と彼女は思ったが、ここへ来るまでの彼の足取りに迷いはなかった。

「わかっている。だがその前に、少し寄りたい場所があるんだ」

 少し妙な感じもしたが、少女は黙ってあとに続いた。去り際にちらりと見えた光景に、その思いは強まる。彼女が住んでいた部屋には全てカーテンがなかった。

 二人がついた先は市場だった。八百屋や肉屋、服屋や日用品店などが軒を連ねる。
 ブチャラティのアパルトメントの近くにも賑やかな商店街はあるが、そちらはもっと瀟洒な通りだ。一方、今二人が歩いているのはもっと狭苦しく、雑然とした、まとまりのない場所だった。
 つい一か月ほど前まで、このエリアはの生活の場だった。少ない生活費をさらに切り詰めて食材や生活用品を求めに来ていた。

 さらに歩き、ブチャラティは市場の外れにある一軒の店に入った。そこは質屋だった。
 入口付近には大物の家具やソファなど、奥に行くにつれてもっと細々としたものが、この辺りの店が大抵そうであるように、狭小な空間に所狭しと積み上げられている。貴金属を収めたショーケースなどもあり、その奥で老人が椅子に腰掛けていた。ブチャラティが歩み寄る。

「ブチャラティだ」
「はい。お待ちしておりました」

 男は腰を上げると丁寧にお辞儀をする。「あちらです」と腕を向けた先には扉があった。店の裏手に通じるドアらしい。店の裏には小さな中庭があり、彼の自宅へと通じている。その通路の途中に、売り物なのか、食器棚やチェストといった家具が寄り集まって置いてあった。どれも使い古され、傷やスレ、落書きなどもあり、中古品だとしても価値は低そうだ。

「あ」

 が声を上げ、突然駆け寄る。元は綺麗なオフホワイトだっただろう食器棚に手で触れた。

「どうして……これ」

 そこにあるのは全て、彼女の自宅にあったものだった。シールの剥がし跡が残る三段のチェストも、父親がよく座っていた黒い合皮のチェアも、安物のナイトランプも。

「君の家はすでに引き払われていて、勝手に入ることはできない。荷物は大家が処分した。残っているのはこれだけだ」

 フーゴの調査では、大家は「全て処分した」と言った。だが追加調査で一部を売り払っていたことがわかった。滞納した家賃の補てんだと言われればそれ以上は言及できない。
 この辺り一帯は別のチームの縄張りで、今日ここへ来る際にも一言断りを入れている。

「私の服とか、教科書とかも全部?」

 ブチャラティは無言でうなずく。は一度顔をゆがませたが、それ以降はただじっと、目の前の家具に視線を据えていた。
 父親が死に、住む場所も失い、彼女自身はギャングに囚われ先の見えない生活を余儀なくされている。まだ未成年の少女にとって、それはどれほどの苦痛だろうか。

「持ち帰りたければ、引き取ってもいい。しばらくはオレの家に置いておくこともできる」

 そこに、同情がなかったかと問われれば否定はできない。ブチャラティは己の未熟さを痛感した。これは仕事で、私情を持ち込むべきではない。だが割り切ってしまうには、の生い立ちはあまりに彼自身のそれと似ていた。ブチャラティの母親が家を出たのも7歳のときだった。

「これを、あなたの家に?」
「ああ。君さえ良ければ、だが」

 何気ない顔で言うブチャラティを、が推し量るように見る。

「……どうして?こんな荷物、ジャマにしかならないのに」
「他人にとってはそうでも、君にとっては違うだろう」

 それであなたに何の見返りがあるの?そんな言葉をは飲む込む。目の前にいる男は、彼女が知る「ギャング」とはあまりにかけ離れている。

 考えた末、は三段のチェストだけ引き取ることにした。他は全て拾ったり譲り受けたりしたものだが、このチェストだけは、母親が幼いに買い与えたものだった。

 ブチャラティが店主に料金を確認するが、老人は両手のひらを見せて柔和な笑みを浮かべる。

「お代は結構ですよ」
「いえ、そんなワケにはいかない」
「いえいえ、結構です」
「……失礼ですが、どこかでお会いしたことでも?」

 店主の浮かべる笑みにはなぜか親しみがあった。一度電話で話はしたが、ブチャラティはこの店へ足を運ぶのも彼と会うのも今日が初めてだった。

「わたしには弟がおりましてね、ナポリ大学の近くでブロッカという名のタバコ屋をやっておるんです」

 それでブチャラティも合点がいった。

「ああ、では、シモーニさんの」
「あなたの話は弟からよく聞いております。とても世話になっていると」

 その日の午後には、店主の息子だと名乗る男の手によってのチェストが運び込まれた。





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