Un miracolo di Roma02



 トラステヴェレ通りを右に折れてテヴェレ川を越えると、一点物を扱った小さな雑貨店や比較的手ごろな価格の飲食店が集まる下町に出る。
 ローマ・ピッツァが食べたいとが言ったので、ジョルノは彼女がショッピングをしている隙に、予め予約していたリストランテをキャンセルした。

 深夜まで営業中のピッツェリアを見つけ、陽気な客たちに混じって三種類のピッツァとワインを注文した。ローマ・ピッツァはネアポリスのものより生地が薄く香ばしいのが特徴だ。二人で満腹になって20ユーロという安さと味の良さから店は満席だった。

「私たちちょっと浮いてるね」
「浮いてると言うよりは注目を集めていますね」
「こんな格好だしね。まあいっか」

 仕立ての良いスーツに身を包んだジョルノとシックなドレス姿の彼女は確かに視線を集めていたが、それは身なりのせいだけではなかった。
 は気にせずプロシュットとサラミの乗ったカプリチョーザを頬張る。ユーロスターでほとんど食事をしていなかったからか、彼女はよく食べてよく笑った。

「すみません、タクシーを一台手配してもらえますか」

 ドルチェを運んで来た店員にジョルノが声をかける。不慣れな地でタクシー乗り場を探すのは面倒だと考えたからだ。

「待って、タクシーはいいわ」
「え、なぜですか」
「せっかくローマに来たんだもの、少し歩いてみたいの」
「観光なら明日にでも……いえ、わかりました」

 ジョルノは微笑み、指示を待っていた店員に断りを入れた。
 せっかくのからの誘いを無下にすることもない、そう考えてジョルノは頭にローマの地図を広げた。

「コスメディン教会にでも寄ってみましょうか。ちょうど通り道のはずですよ」
「真実の口があるところね。ローマの休日みたいね」
「じゃあぼくはジョー・ブラッドレーですね」
「私はアン王女だなんて口が裂けても言えないわ」
「なぜです?はオードリー・ヘプバーンよりも綺麗ですよ」

 彼女はぎょっと目を見開いて、それから顔を背けてしまった。
 ワイングラスに手を添えているが、口をつける様子はない。酔いのせいか、目尻をほんのりと染めている。

「もう、やめてよ」
「ぼくは思ったことを口にしたまでです」
「……困った人。でもブローノにもそういうところがあったわ」

 ジョルノはおや、と思った。普段からその名を聞くことはめったにない。意図的に避けていると思えるほどだった。

「意外ですね。ブチャラティもああ見えて生粋のイタリア男ってことですか」
「……そうなのよ、あの人涼しい顔でびっくりするくらいさらっと褒めるのよ。本人に自覚はなかったんだろうけど」

 視線を落としたは、レーズン入りブディーノにはそれきり手をつけず、テーブルワインを二杯ほど飲んだ。

 店を出た二人はサンタ・マリア・イン・コスメディン教会を目指してテヴェレ川沿いを歩いた。冷たい夜風が吹いていたが、酔って火照った身体には心地良かった。
 現在時刻は22時を少しまわったところ。当然と言えば当然だが、入館時間はとっくに終わっていた。

「うそ、やだ、閉まってるわ」
「当たり前でしょう。今何時だと思っているんですか」
「じゃあどうして行こうなんて言ったのよ」
「外からでも見れると思ったからですよ」

 は柵にしがみ付き、古ぼけた教会の外壁に設置された海神トリトーネの彫刻を悔しそうに眺めている。ローマでも屈指の観光名所である真実の口だが元は下水溝の蓋だと言うから驚きだ。

「パッショーネの力で何とかならないの?」
「あなたはギャングを何だと思ってるんですか」
「もう、冗談よ冗談」
「行きましょう。警備員が来るとやっかいだ」
「そうね、残念だけど」
「もう少し歩きますか?それともホテルに戻りますか」

 少し考え込んだ様子のだったが、目を伏せたまま静かな声で言った。

「行きたい場所があるの」
「どこですか」
「ブローノの、最期の場所に行ってみたいの」

 ジョルノは返事に詰まった。の口から飛び出した言葉が予想外だったからではない。彼もまさに今、そのことを考えていたからだ。

「ローマを訪れる機会があったら行ってみたいってずっと思ってたの」

 彼女は微笑んだ。その笑みを見て、この提案が突発的に思いついたような類のものではないのだとジョルノは理解した。おそらく彼女は「少し歩いてみたいの」と言ったあの瞬間にはもう決意していたのだ。

「わかりました」

 ジョルノが彼女の手を引いて歩き出す。はその力強さに少し驚いたが、ずれたショールを片手で直して素直に従った。

 テヴェレ川沿いを道なりに進んでいくと、頂上に大天使ミカエル像がそびえ建つ円形の古城が見えて来る。

「サンタンジェロ城……?ライトアップが綺麗ね」

 城の前にある、城へと続く橋もまた見事で、橋の両側には十体の巨大な天使像があしらえられている。この時間でも観光客の姿がちらほらとあり、夜のサンタンジェロ城を前にシャッターを切っている。

「ここです」

 は美しい古城に見入っていたが、ジョルノの声に顔を向けた。

「ここがブチャラティの最期の地です」
「え、こんなに近くだったの?」
「ええ。ですから実を言うと、ぼくはもうずっと考えていました。あなたとローマの休日について話しているときも、コスメディン教会にいたときも」

 ジョルノの予想に反しては落ち着いていた。そう、と静かな声で言う。その姿がよけいにジョルノの胸に刺さった。

 ここはブチャラティの最期の地であり、前ボス、ディアボロを討ち果たした地でもあり、ジョルノや生き残った者たちにとっては決意の場所でもある。
 ジョルノ・ジョバァーナはローマを訪れる際、コロッセオとサンタンジェロ城を必ず訪れている。あの日となんら変わらない光景を目に焼き付けて日常に戻る。それは儀式のようなものだった。

「なんてことはない場所なのね」
「ほとんどの人間から見たら、ここはよくある観光地です」

 ジョルノは顔をしかめた。

「どうしたの」とが訊ね、隣の男の顔を覗き込む。

 彼は目を凝らし、ローマの夜に浮かび上がるサンタンジェロ城を見上げた。厳しい顔つきだったが、呆然としているようにも見えた。

「たまに考えるんです。生き残ったのがぼくではなくブチャラティだったらと」
「だったら、どうだって言うの」
「彼なら、もっとうまくやるでしょう。ぼくよりもずっとうまく部下をまとめ上げ、街を正しい道に導くはずだ」
「仮定の話をしても仕方ないわ。だけど一つだけ言わせてもらうなら、ジョルノ……あなたがいたから、あなたと出会ったからブローノは自分の意志を貫くことができたのよ」

 感謝してる、とが言う。追い風に煽られた後れ毛と耳のピアスがふわりと揺れた。

「ぼくが欲しいのは、感謝なんかじゃあ」
「え?」
「……いえ、何でもありません」

 ジョルノは上着を脱ぐと今度は有無を言わせず彼女の細い肩にかけた。

「あなたは先にホテルに戻っていてください。ああ、ちょうどタクシー乗り場がある」
「ジョルノはどうするの?」
「ぼくはもう少し歩いてから戻ります」
「待ってよ、だったら私も一緒に行くわ」
「ぼくが」
「……え?何?」

「行きましょう」との手を引いてタクシー乗り場まで行くと、戸惑う彼女を後部座席に乗せて運転手に行き先を告げた。
 走り去る車を、ジョルノは車止めポールに腰かけて見送る。

「ぼくがブチャラティに勝てるものなんて、若さくらいしかないんだ」と彼はつぶやいてから、「違うな」と首を左右に振った。

 その若ささえももうすぐ追いついてしまう。ブチャラティという偉大な存在に勝ちたいと願うことすら滑稽に思えた。心から尊敬し、ただ彼に恥じない道を進みたいとこれまでやってきた。それがのこととなると、自分は嫉妬深いただの男なのだと思い知らされる。
 なぜ彼女でなければならないのだろうと何度も考えた。ジョルノ・ジョバァーナはイタリアマフィア界に君臨する巨大組織のトップだ。その気になれば女などいくらでもいる。
 それでも欲しいと思うのはただ一人だった。

「そう言えば、ローマの休日はハッピーエンドじゃあなかったな」

 独り言が夜風に消えるが、意外にも返事があった。

「あれはハッピーエンドじゃあねーからいいんだよ。そう思わねえかァ?ジョルノよォ」

 目深に被ったコッポラ帽を指で持ち上げ、現れた黒衣の男がにやりと笑う。
 ジョルノは深いため息をついた。

「やっぱりいたんですね、ミスタ」
「あたりめーだろうが、おまえは自分の立場ってモンをわかっちゃいねえ。おかげでオレたち部下は苦労するぜ」
「隠れていたのに、なぜ今出てきたんですか」
「そりゃおめー、見てられねえからだろ」

 ジョルノは苦笑した。離れた位置に、他にも見覚えのある顔があった。

「ところでそれ、変装ですか」
「悪かねーだろォ?」

 グイード・ミスタは得意げに言いながら、トレンチコートの襟を立てて見せた。しょぼくれた探偵のようだとジョルノは思ったが、もちろん口には出さなかった。



text top