ボスと笑わない秘書08



メッセージを五件、再生します
ピー

『あー、プロント。、君今どこにいるんだい?ボスと一緒なんだろ、これを聞いたら至急連絡をくれないか?スゴク心配している。ボスを連れだしたのが君なのかどうか、そいつは今はどうだっていい。とにかく、連絡をくれ。何かあってからじゃあ遅いんだ。待っているよ』

ピー

『さっきのメッセージは聞いてくれたかい?返信がないってことは聞いてないってことかな。何か問題が発生したんじゃあなければいいけれど、ボスの身が心配だ。もし仮に、君がボスを連れ出したとしよう。そんなこたー絶対にないと信じたいが、もし仮にそうだった場合、君の身がヤバいッ。親衛隊には血の気の多い連中も多いんだ。ミスタと相談して、今はまだぼくらの中だけに留めている。……確かにぼくは君に、ボスの肩の力を抜いてくれとお願いしたけれど、あれはこういう意味じゃあないんだ。とにかく、連絡をくれ』

ピー

『あーもしもしィ、オレだぜオレッ。おまえら屋敷を抜け出したんだってな~ヤるじゃあねえかッ、そういうの、オレは好きだぜ。ただよォ、フーゴの野郎が心配してるし他の連中もそろそろ騒ぎ出す頃だ。別に連れ戻したりはしねえからオレにだけでも連絡くれよ。おっ、時間だ。オメーらがいなくなっちまったせいでオレはミラノからとんぼ返りだぜ。いや、それは別にいい。むしろ面倒くせェ会議とかなくなって逆にラッキーってカンジだからよ。ま、あとで会おうぜ』

ピー

、君はいったいどこにいるんだ。何か目的があってのことなのか?ボスの携帯はもうずっと不通だ……。夜には戻る、とボスが言い残しているから、その言葉を信じて待ちたいが……なぜ連絡一本寄越さないんだッ、確かに……ボスには不自由を強いていたかもしれない。薄々勘付いていながら何の手立ても考えなかったぼくの落ち度だ。だがッそれはッ、ボスの安全を思ってのことなんだッ、なあおい、さっさと連絡を寄こせよッ、いったいどういうつもりなんだッ、もしボスの身に何かあってみろ、ただじゃあおかねえぞこのアマ──ッ『オイちょっと貸せッ、あーもしもしィ、オレだ。待て、今オレが喋ってんだろォ、ちょっと落ち着けってフ』勝手に出るんじゃあねーッ、オレをナメてんのかコラァッ!』

ピー

『よォ~、さっきは悪かったな。フーゴのやつすぐキレるしまいっちまうぜェ。なあ、今どこにいんだよ。マジで心配してるし黙ってんのもそろそろ限界だ。ボスはどこだって護衛のヤツらが騒いでんだよ。どうにか誤魔化してはいるがそろそろヤベェ。電話一本だけくれ、な?待ってるぜ。チャオ』


「もう一度聞きますか、ボス」

 は神妙な顔つきで携帯電話を差し出した。

「私、ただじゃあ済まない感じですね」
「いや、そんなことには決してならない」

 ジョルノは手にした瓶ビールに口をつけ、ラッパ飲みした。すっと長い首に隆起した喉仏が武骨で、それが飲み下すたびに動く。はその様子をじっと見ていた。

「何ですか、じろじろ見て」

 キャップの下からエメラルドの瞳が覗く。
 は「いえ」と言って慌てて首を振った。ビールを飲む仕草からなぜか目が離せなかった。手元のワイングラスに視線を移し、彼女は単調な声で続けた。

「なぜ、そうはならないと言い切れるんですか」
「伝言を伝えたのがぼくだからです。ぼくの意思であることは明確だし、後でもう一度ぼくからきちんと説明します」
「説明できなければ?」
「どういう意味です」
「もし今、何らかの理由でボスが不慮の死を遂げたとしましょう。死人に口なしです。私の説明など誰も聞き入れてはくれないでしょう」
「勝手にぼくを殺さないでください」
「すみません。でもボスに何かあった場合、私はたぶん、殺されます。私の言い分は信じてもらえないでしょうし、拷問されるかもしれません」
「そんなことは」
「ないと言いきれますか?」

 ジョルノは沈黙した。
 はやや誇張している。さすがにそこまでの仕打ちはされないだろうと彼女自身もふんでいるが、まったくないとも言い切れないのがギャングの世界だ。
 思いのほか沈黙が長く、ジョルノはカウンターを睨みつけている。
 低く抑えた声で彼はつぶやいた。

「ぼくとしたことが、その可能性を考えていなかった。そこまで考えが及ばなかった。すみません、今から連絡をしてきます」
「え」
「え、何ですか」

 ジョルノは肘を置いていたカウンターから身を起こした。
 二人は肩を寄せ、声をひそめて喋っていたが、その必要はないくらいに店内は騒がしい。
 映画館を出た二人はちょうど目についた立ち飲みのバルに寄っていた。

「本当に、連絡を入れて頂けるんですか」
「そう言ったでしょう。何か腑に落ちない顔ですね」
「ハッキリ言って意外でした。もっと駄々をこね……いえ、今のは失言でした」
「いいんです、駄々をこねていたのは事実だ」

 あまりにも素直にそう言われては返事に困った。

「ちょっと電話をしてきます。スグに戻る。ここで待っていてくださいね」
「店の外はダメです、一人にならないでください」

 無意識に太ももに手をやった。そこには彼女の愛銃がある。

「わかりました。外へは出ません。だから君もそんな物騒なものは出さないで」

 そう言ってジョルノはカウンターを離れ、賑わったフロアを横切って奥にいくつかあるテーブル席の方へと向かった。
 そちらは静かで人もまばらだ。背の高いスツールに軽く腰掛けてジョルノは携帯電話を取り出した。

 その様子をカウンターからじっと見つめる
 背後では先日行われたサッカーの試合についての議論が繰り広げられ、一日の労をねぎらう労働者たちがグラスを鳴らし、カップルが愛を語り合い、その横ではナンパする男たち、と店にはさまざまな客がいた。
 店内だけでなく、軒先で夜気にあたりながらワインを楽しむ者もいた。お洒落なテラス席などはない、地元民だけが集うような気安いバルだ。

「一人かい?ぜひ、次の一杯はぼくにご馳走させてくれないかい」

 声をかけてきた男に「結構よ」と返しつつ、はジョルノから目を離さなかった。
 ジョルノはスツールの脚に片足をかけて話し込んでいる様子だった。
 ややうつむいているのと、目深に被った帽子のせいでその表情は見えない。学生っぽいその姿はきちんとテーブルセッティングされたようなリストランテでは逆に浮いてしまうが、下町のバルにはうまく溶け込んでいた。
 そのとき、の近くを女が横切った。

「え、うそ」

 女が言った。連れの男が首を傾げる。

「どうしたんだい」
「知り合いよ。ねえ、あなたじゃない?」

 思いがけず名前を呼ばれ、は驚いて顔を向けた。

「あたしよ、ナターシャよ。ハイスクールで一緒だった──クラスも二年間一緒だったわ。ああ、懐かしいわ」

 ゆるくカールした黒髪の奥で彫りの深い顔が驚いている。やや大ぶりの口元が忙しなく動いた。

「あなた今何してるの?ネアポリスに住んでるの?あたしはほら、彼の出張に旅行がてらついてきちゃったの。ああ、それにしてもあなたに会うなんて、皆が知ったら驚くわ」
「知らないわ。人違いよ」
「えっ、うそよ、って呼んで振り返ったじゃない。確かに……服の趣味はちょっぴり変わったのね。でもやっぱりよ。酷いわ、知らないフリなんて」
「いったい誰なんだい、そのベッラは」

 女の連れが口を挟む。ほっそりとした長身の男で、こんな店でかっちりとしたビジネススーツを着込んでいる。いかにもエリートといった風貌だった。
 女はしなだれかかるように男に腕を絡めた。

「彼女、ハイスクールが一緒だったの」
「へえ、あの名門の。いったいどこのお嬢様なんだい、ぜひ紹介してくれよ」

 男の視線がの全身を舐めるように移動する。普段から浮気癖のある男なのかもしれない。女は眉を寄せ、態度を一変させた。

「やだ、へんな気おこさないで。彼女、確かに名家の生まれだけど今は……」
「悪いけど、本当に人違いよ」

 は二人に背を向けた。心中穏やかではないが、悪目立ちするわけにはいかない。残りのワインを飲み干すとその場を離れたが、二人はまだひそひそと喋っていた。

「人違いなんかじゃあないわ、絶対に彼女よ」
「今は、って、何かあったのかい」
「彼女……スゴク恐ろしい事件を起こしたのよ。でも結局は不起訴になったの。彼女のお父様は力があるから、もみ消してもらったんだってもっぱらのウワサよ」

 その言葉にの足が止まる。怒りが全身を駆け巡るのを感じた。

「へえ、そりゃよっぽど娘に甘いんだな」
「そうね、きっと甘やかされて」
「勝手なことを言わないで!あの人たちは何もしてくれないわッ」

 が突然怒鳴りつけ、ヒールを鳴らして詰め寄って来る。ナターシャは驚いて目をまん丸くした。

「あんたのことは覚えてるわよナターシャ、ぜんッぜん変わってないものね」
「ちょっと、それどういう」
「お喋りでウワサ好きで男好きのナターシャ、ご執心だったアメフト部の彼とはどうなったの?メタル好きの彼は?どうせその男だってスグに別れるんでしょッ」
「なッ」

 やってしまった、とは思ったが遅かった。つい口をついて出てしまった。ふと見ると先ほどの場所にジョルノがいない。

「え、うそ……どこに」
「オイ待てよ、失礼じゃあないかッ、人の恋人侮辱しておいて逃げる気なのかッ」

 立ち去りかけたの肩に男の手が伸びる。が、一瞬早く別の腕が男の手首をつかんだ。

「そっちこそ、人のアモーレに気安く触らないでくれ」
「誰だッ、きさま」

 男は気色ばって言い返したが、ジョルノがつかんだ手首を捻り上げると痛みに耐えかねて苦痛の叫びを上げた。抵抗した際に肘がテーブルにあたり、落ちたグラスが砕け散る。女が顔色を変えて駆け寄って来た。

「あんたッ、離しなさいよ、こんなこと許されないわッ!」
「ええ、離しますよ。だけど先に彼女を侮辱したのはそっちだ」
「なによ、えらそうに、まだ子供じゃあないッ帽子取りなさいよ」

 あ、と思った時には女の手がジョルノの帽子を払い落としていた。
 ジョルノはうつむいたまま、上目に見据えるように女を見る。
 賑やかだった店内が示し合わせたように静かになっていた。誰もが息を飲み、ただ成り行きを見守っていた。

 やや乱れたブロンドの下で昏く光る眼差し。ジョルノは怒りを露わにしているわけでも睨みつけているわけでもない。それでも女は身を強張らせた。
 それはにしても同じだった。鋭く冷淡な眼差しは見ているだけで飲み込まれそうな威圧感があった。
 彼は何もしていない。ただそこに立って、一組の男女を見据えているだけなのだ。それでも指先が冷えて、空気すらも凍てつくようだった。
 足元には砕け散ったガラス片。軒先の客たちも何事かと顔を覗かせ始めた。

「お騒がせしてすみません」

 打って変わって、今度は柔和な声で言った。ジョルノはサイフから百ユーロ札を数枚抜き取るとカウンターに置いた。

「グラス、割ってしまってすみません。他に壊れたりしたものはないですよね」
「……え、ええ、ありま、せん」

 しどろもどろで答える店主にひときわ優し気な微笑みを向けると、彼は立ち尽くすの傍まで歩み寄ってミニスカートの腰を抱いた。
 あまりにも自然にそうされたので、その瞬間は違和感すら覚えず、も彼の腰に腕をまわした。
 ジョルノは振り返らずに言った。

「今度ぼくのアモを侮辱したら決して許しはしない、よく覚えておくんだな」




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