ボスと笑わない秘書03
その施設はネアポリスの郊外の倉庫街にあった。
窓の少ない灰色の建物で、でかでかと掲げられた看板には「ネアポリス・ガンクラブ」と書いてある。そこは会員制の実弾射撃場だった。
受付の男は暇そうに雑誌を読んでいたが、の姿を見つけると陽気に笑う。
「いらっしゃい、弾は何発だい」
「五十発で」
「精が出るねェ」
男が戸棚から出した小箱と保護メガネ、イヤーマフを受け取ってからは射撃エリアへと向かった。
射撃エリアは壁一枚隔てただけのすぐ隣にあり、ドアを開けた瞬間から鋭い銃声が響く。平日の午前中ということもあり、射撃ブースは空きが目立つが、それでも数名の先客がいた。
は保護メガネとイヤーマフをつけ、横並びに並んだ射撃ブースの一つに入った。
小箱から実弾を取り出してマガジン(弾倉)にフルの十五発を装填すると、それを装着してスライドを引く。
グリップを握る右手を支えるようにして左手を添え、じっと狙いを定める。息を止め、人差し指でトリガーを引いた。
銃口が火を吹いて、五十メートル先の標的に穴を穿つ。的は人型で、体の部位によって点数が違う。的が人型なのは、基本的に銃は人を殺す道具だからだろうか、などと考えながらは連射した。
立ち昇る煙と火薬の臭い。
は詰めていた息を吐き、グリップサイドのボタンを押す。自重で落ちたマガジンに弾を込めなおして再び装着し、スライドを引きかけたとき、背後から声がした。
「がんばってんな、狙いも悪かねえぜ」
は銃の安全装置を戻し、ずらしたイヤーマフを首にかけた。
そこにいたのはグイード・ミスタだった。
「──幹部、どうしたんですか」
「おまえ今日休みなんだろ?さっきジョルノに聞いたぜ。たぶんここじゃあねえかと思ってよ」
「そうですか」
「しかしまァ、マジにいるとはな。若いオンナがせっかくの休日に射撃場ってよォー、他になんかねえわけ?デートとかしろよな~ッ」
「幹部、お願いがあります」
「いやいやおまえオレの話聞いてた?」
「デートには興味がありません。それよりアドバイスしてもらえませんか」
は声を張った。
どこかで誰かが撃つたびに重低音が腹の底に響く。個人経営のスポーツ射撃場だが使う弾は実弾で、壁に反響するその音はとてつもなく大きい。
基本的に射撃エリアに入るには保護メガネとイヤーマフの装着がルール付けられているが、ミスタはそのどちらもしていなかった。
「構えて撃つ、狙いは絶対に外さねえ」
そんだけだぜ、と彼はあっさり言ってのける。
「そのアドバイスはあまり、その」
が口ごもると、ミスタは声を上げて笑った。
「相変わらずクソ真面目だなおめーは」
「すみません」
「いいか、おまえはもう基本は身についてる。だが、まだ人を実際に殺ったことはねえ。いざってときに必要なのは心構えだ。絶対に外さねえッ、あの野郎の脳天に何が何でもブチ込んでやるッ、そういう心構えがよ」
彼は大股での背後へと歩み寄る。
彼女は慌ててイヤーマフをつけた。スライドを引くと自動的にハンマーがコックされ、射撃可能となる。は腕を真っ直ぐに伸ばして狙いを定めた。
「足はそれでいい、そう、半歩前だ。グリップは上の方を──持ってるな、いいぜ。重心はぶらすな。そうだ。ちょい待て、腰を落とし過ぎるんじゃあねえ」
「はい」
「ふんばり過ぎるな。違う、背筋は真っ直ぐだ」
背中に大きな手が添えられての肩がわずかに揺れた。そのとき、ちょうど銃声が止んだ。訪れた一瞬の静寂の中で、耳元に届く低い声。
「肝心なのは最初の一人だ、最初の一人を殺れるかどうかが分かれ道だ」
人差し指がトリガーを引いた。
とミスタは射撃エリアを出ると、受付ロビーに併設されているラウンジに寄った。
まるで長距離バスの待合室のような素っ気なさで、長椅子がずらっと並んでいる。カウンターでは軽食とドリンクが購入できる。ミスタは店員の女を軽く口説きつつ、瓶ビールとホットドックを二人分購入した。
「幹部、お仕事中じゃあ」
「かってーこと言うなよ、ほれ、おまえも飲めよ。ひと汗かいたあとのビールは格別だぜッ」
別に汗などかいていないが、は素直に受け取った。長椅子の最後尾に横並びで座り、もくもくと食べる。他に客はおらず、ラウンジには流行りのポップスが流れていた。
長椅子にどかっと座ったミスタは、大口あけてホットドックにかぶりつく。指についたマスタードを舐めとると、彼は話を切り出した。
「どうよ、新しいお仕事はよォ」
「問題はないです」
「ま、そうだろうよ、ジョルノやフーゴからの評判も上々だ」
が顔を上げると、軽い口調とは裏腹に、黒々とした目が気遣わし気に彼女を見ていた。
「続けられそうか?」
「ボスさえよければ」
「オレはオメーの気持ちを聞いてんの。続けてえのか?」
「はい。ただ」
「なんだよ」
「以前、ボスにも提案したんですが、秘書をもう一人雇ってはどうでしょうか。私が休みの日など、お困りではないかと」
「それ、ジョルノはなんつった」
「考えておきます、とだけ。返事はまだありません」
「そりゃたぶん、返事はねえな。困ってねえんだよ。いっつもスケジュールがギチギチに詰まってるってワケでもねえだろ」
はうなずいた。ギャングのボスは企業のトップや議員などと違い、表だって動くことは少ない。面会の申し入れは多いが、そのほとんどは参謀であるフーゴが対応している。が気がかりだったのは、仕事面ではなく、彼の生活習慣の方だった。自分が休みの日、彼はきちんと食事をとっているだろうか。スタッフの中で彼に意見できる人間は少ない。ほぼいない、と言ってもいい。
「幹部、ちょっと聞いてもいいですか」
「おう、何でも聞いてくれよ」
「私の過去については、ボスにお話されましたか」
「話してるぜ、当然だろ」
彼は即答した。その言い方はやや無頓着にも感じられたが、すでに用意されていた返答だったようにも思えた。
が沈黙していると、今度はミスタが口を開く。
「それ、いっつも携帯してんのか」
「銃ですか?はい、常に携帯しています」
彼女は腰に手を添えた。
腰のホルスターに収まっているのは量産型の自動小銃だ。それを上着で隠している。
「色々試したんですが、私の手にはこのモデルがしっくりきます。命中精度も上がります。幹部のリボルバーほどの威力はないですが、弾数も多く扱いやすいので」
「おまえの仕事は秘書だ。そうだろ?護衛じゃあねえぜ」
「わかっています。でも、いざというときに、ないよりはあった方がいいのではないかと」
「まあな。ないよりゃあった方がいいし、使えねえよりゃ使えた方がいい、それだけは間違いねえ」
は目線を足元に落とした。この面倒見の良い元上司が言いたいことはわかっていた。
にはスタンド能力はない。どれだけ腕を磨いたところで敵がスタンドなら意味がない。彼女の弾丸は相手に掠りもしない。目視することすらできないのだ。
「大丈夫です、よけいなことはしません」
「おいおい卑屈になんなよ、おめーの腕は大したモンだぜッ、オレが認めるんだから自信を持っていいぜ」
「はい」
「いつか、その銃が役に立つ日が来るかもしれねえ。あいつの周りは精鋭ぞろいだが、何があるかはわからねーしよォ」
彼の声が微妙に歯切れ悪くなる。
グイード・ミスタは真顔で声をひそませた。
「つーかよォ、本音を言っちまえば、あいつに護衛なんて必要ねーんだよ」
「どういう意味ですか」
「ジョルノのゴールド・エクスペリエンスは強い。あいつに敵うヤツなんて敵でも味方でもそうはいねえよ。一緒に戦ってきたからわかる。あいつはマジで大したヤツだ」
ミスタは言って、食べ終わったホットドックの包み紙を丸めて振り被る。投げられたそれはゴミ箱の縁にあたって床に落ちた。惜しい、と彼は指を鳴らす。は伏せていた目を上げた。
「彼は、ボスは、まだ十代なんですよね。とてもそうは思えません」
ミスタはやや目を大きくした。
「見えねえか?ちょっと大人びてるもんなアイツ」
「いえ、見た目ではありません。内面です。もちろん、年相応だと感じる部分もありますが、なんていうか、とてもイニシアティブを取ることに慣れている。人心掌握術にも長けているように感じます」
「あーそりゃ、天賦の才ってヤツだな」
「はい。努力で身につけるには限界があります。才能、でしょうか」
数秒、視線が交わった。ミスタの表情がわずかに曇ったことには気づいた。普段が陽気だからこそ、厳しい顔つきでうつむく様子には戸惑った。何か不適切な発言をしてしまっただろうか、と。
「なあ、よォ」
「はい」
「時々でいいからよ、あいつを甘やかしてやってくれよ」
え、とは聞き返した。しばらく見つめていたが、ミスタは帽子に隠れたこめかみをかりかりと掻くだけでそれ以上何も言わなかった。
彼の表情に朗らかさが戻り、「さて」とつぶやいて立ち上がる。
「オレはそろそろ行くぜッ、あんまサボってっと怒られちまうからよォ~」
「はい。ご指導ありがとうございました」
がすかさず頭を下げる。顔を上げたとき、驚くほど距離が縮まっていた。自分を覗きこむ強い眼差しに驚いて一歩退くが、そうはさせじとミスタの両手がの頬をぎゅーっとつまむ。
「ちょ、やめてくらさ」
「オメーはよ、もっと力を抜けッ、その堅ッ苦しい喋り方も止めろッ、今は仕事中じゃあねえだろ!あと笑え、笑ったらカワイイんだからよォーーッ」
こくこくとがうなずくと、ミスタが満足げに口角を上げた。
「ジョルノがよ、おまえの笑った顔を見たことがあるかって聞いてきたんだよ。だからオレは言ってやったぜ、「もちろんあるぜ。最ッ高にキュートだぜ」ってなッ」
グイード・ミスタは言うだけ言うと風のように去った。はまだ半分ほど残ったビール片手に考えていた。
(笑った顔……?ボスがそんなことを)
その発言はを驚かせた。
自分に愛想がないことは彼女自身も自覚していた。は昔から感情を表に出すことが苦手だった。その分、仕事は完璧にやり遂げてきた。
それでも、これまで周囲にいた人間はたいてい良かれと彼女に助言した。
君は女なんだから
もっと笑った方が
口にしないまでも、態度に出す相手もいた。
しかし、ジョルノ・ジョバァーナという男は違った。彼は本心からの仕事ぶりに満足しているようだった。少なくとも彼女にはそう感じられた。
「大丈夫?気分でも悪いのかしら」
声をかけられては我に返った。目線の先にいたのはさっきミスタに口説かれていたカウンターの女性店員だった。
「さん、よね?腕の立つ美人がいるって常連さんから評判よ」
そばかすの顔に人懐っこい笑みを浮かべている。グラマーな女性だった。
「ありがとう、気分は悪くないわ」
は残りのビールを一気に飲み干すと腰を上げた。その足で受付まで向かう。弾丸をさらに五十発ほど購入して再び射撃エリアに入った。
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