ボスと笑わない秘書02



 パッショーネの本部事務所はネアポリスの高台にある。外観はゴシック様式の屋敷だが、内装は万全のセキュリティ対策が施され、常時腕の経つ部下が控えている。他にも雑務をこなす数名のスタッフがおり、参謀であるフーゴの私室、会議室やレセプションルーム、宿泊できる設備なども備えている。自宅は別にあるジョルノだが、多忙さ故に事務所に寝泊まりすることも多かった。

「おはようございます、ボス」

 ジョルノが執務室に顔を出すと、はいつもの黒いスーツに身を包み、背筋を伸ばした美しい立ち姿で彼を迎えた。

「おはよう、さん」

 挨拶を交わし、脱いだジャケットをに手渡すと、ジョルノはデスクに向かった。
 は彼好みに濃さを調節したエスプレッソを淹れ、上司が人心地ついた頃、まずは伝達事項を伝え、続いて本日のスケジュールを告げる。
 全てを耳に入れるのではなくきちんと取捨選択をしている。それが的確で、ジョルノがそれまでしていた煩雑な作業はほぼなくなった。
 フーゴが兼任していた対外的なサポートもが行っており、彼らはそれぞれ本来の職務に全うすることができた。
 一言で言えば、「けっこう快適」な毎日だった。

「本日は午前中に一件会議が、午後は七時からディ・ヴァンジェリスタホテルで整備公社のバリオーニ局長と会食です」
「整備公社?何でしたっけそれ」
「ネアポリス市街美観計画の件です。この件を進めて良いと仰ったのはボスご自身では」
「あ、思い出しました。美観、いいじゃあないですか。南イタリアは北と比べて扱いが悪いし、危険で汚い街だという印象は拭えない。それを払拭する良い機会だ」

 は短く同意すると、「本日のランチですが」と切り出した。

「会議の後に皆様でお食事できるようリストランテを予約してあります。フーゴさまからのご指示です」

 ジョルノはプレジデントチェアに身を沈め、長い脚を組む。手にしていた万年筆をくるっと回した。

「結構です。良かったらさんも同席しませんか」

 の目がやや見開かれた。意思表示と呼ぶには小さすぎる変化で、パッと見は誰も気づかないだろうが、ジョルノはそれに気づいた。

「承知しました」
「……本当に?今イヤだって思ったんじゃあないですか」
「いえ。お伴させて頂きます」

 は粛々と言った。

 初日、ジョルノに指摘されて以降、はあのもさもさした非常食を持参することはなかった。
 ジョルノの食事よりもややグレードを落としたものを手配して食べている。彼が誘えば同席することもあるが、基本はデスク、たまに別室で食べている。一度、庭のテラスで一人ランチしている姿を目撃したこともあった。

 朝は上司よりも早く出社し、帰宅は彼よりも遅い。
 何度か先に帰るよう促したときは素直に従った。基本的にはジョルノの指示を仰ぎ、それに従う。求められた場合以外で自分の意見を口にすることもなかった。

「まるでロボットみたいだ」
「え、何ですって」

 ぽつりと漏らしたジョルノの声にフーゴが反応する。
 パンナコッタ・フーゴはこれから行う打ち合わせの資料を配っているところだった。
 彼は首をかしげて尋ねた。

「ロボットって何です?ボス」
さんのことですよ」
「彼女、よくやってるみたいですね。彼女がどうかしたんですか」
「確かによくやってくれている。ただ、感情というものがあまりにも感じられない」
「おいおい、ひどい言い草だなジョルノ。彼女が来てからお前、ずいぶん顔色が良くなったというのに」

 別の方向からかかった声にジョルノとフーゴは顔を向けた。
 出窓の天板に佇んでいる一匹のリクガメ、甲羅の鍵部分から銀髪の男が半身を出している。先の戦いで肉体を失い、魂だけが残った男、ポルナレフだ。今はパッショーネの相談役的な役割を担っているが、本人にそのつもりはなくのん気にカメ生活を満喫している。

「顔色、ですか」

 ジョルノがつぶやく。フーゴが口を挟んだ。

「それはぼくも感じていました。きっと彼女がボスの体調管理をきちっとしてくれているんだろうと」
「ほらな。それをお前、女性に向かってロボットはないだろう。そんなんじゃあモテないぞ」
「構いませんよ、今のぼくには女性にかまけているような時間はありませんから」

 ったく、と息をつくとポルナレフは肩をすくめた。
 実際には吐く息はない。彼は霊体で、すでに呼吸はしていないのだ。

「確かにちょいと素っ気なくはあるが、良い娘だ。コッソリ見ていたが働き者だしよく気もつく。毎朝の掃除だって手を抜かないし、わたしを見ると必ず挨拶をしてくれるんだ。正確には、わたしじゃあなくココに、だがね」
「彼女にはポルナレフさんの姿は見えませんからね」
「中に入っても見えないんでしょうか?」

 フーゴの疑問にジョルノは首を捻った。

「その可能性についてはぼくも考えています。ただ、今はまだ時期尚早だ」
「そうですね。中に入るってことは『矢』の存在も知ることになる。慎重にしなければ」
「ええ。ですが、彼女の前で普通のペットのようにふるまうのもそろそろ面倒だ。簡単な説明だけは近いうちにしようかと考えています」
「わたしの方はいつでも歓迎するよ。その日が来たら、ぜひ一緒にティータイムを楽しもう」

 ポルナレフが鷹揚に笑った。

「そう言えばポルナレフさん、先日のロッソファミリーとの件、助言ありがとうございました」
「あァ、あれか。その後はどうなったんだ」

 思い出したようにフーゴが言ったので、話題がのことから別の案件へと移った。
 会議室のドアが開き、本日の会議の参加者である組織の経営陣がちらほらと顔を出す。それぞれがまずジョルノに挨拶を済ませ、席についた。
 各地域の幹部を取りまとめる立場にある上級幹部のミスタは経営には携わっておらず、その姿はない。彼曰く、そーいうのは頭の良い連中がやりゃあいいだろォー、とのことだった。

「失礼します」

 顔ぶれが揃った頃、がワゴンを引いて現れた。
 彼女はワゴンに乗せたティーカップをそれぞれの席に置く。いつもきちんとカップが温めてある。茶葉も飲む時間帯によって変えており、この時間の紅茶は爽やかで口当たりの良いフレーバーティーだった。


 会議は一時間ほどで滞りなく終わった。
 が予約したリストランテはパッショーネのダミー企業が経営する老舗店だった。
 特別室に案内され、和やかなランチが始まる。よくあるギャング映画のような物々しい警護は引き連れていないが、数名のSPと、一般人に扮した精鋭が常にガードしている。

 はテーブルの末席に座った。質問されれば答えるが、それ以外はほぼ無言で食事を続ける。誰かが「愛想のない娘だな」と苦言を言った。

「彼女はぼくの秘書だ、愛想は必要ない」

 メインディッシュの魚料理を丁寧に切り分けながら、ジョルノが口を挟む。失言した男は慌てて謝罪したが、は無表情だった。男の発言に対して何の感情も持ち合わせていない、といった様子で、成り行きを見ていたフーゴが「なるほど」と小さくつぶやいた。

 ジョルノが目で問いかけると、フーゴはちょっと肩をすくめて見せる。

「ボスがさっき言った意味がわかりましたよ」

 周りの面々は疑問符を浮かべているが、若きボスとその参謀だけは目顔で視線を交わした。

 コース料理も終盤に差し掛かり、食後酒を味わいつつ談笑していると、が携帯電話を手に席を外した。数分で戻ると、ジョルノの傍まで歩み寄って膝をつく。

「ボス、ただ今バリオーニ局長の秘書のスカンツィオ氏から連絡がありました。少しよろしいでしょうか」

 ジョルノはうなずき、二人は場所を移動した。

「何か急ぎの用ですか」
「今晩の会食の件ですが、バリオーニ局長から急きょ、奥様を同伴されたいとのお申し出がありました」
「なぜですか。ビジネスの場に夫人を連れて来る意図がわからない」

 おそらくですが、と前置きしてから彼女は言った。

「今回の会食では実務的な取り決めは行われません。あくまで、この街で行う事業を円滑に行うための挨拶のようなものです。ボスと、しいてはパッショーネと懇意にしたい、親しみを持って付き合っていきたい、という意味合いではないかと。バリオーニ氏は大らかでやや気分屋の人物だと聞いていますので、突然思い立ったという可能性もあります」

 ジョルノは顔をしかめた。

「仲良しクラブじゃあないんだ」
「仰ることは最もですが、この場合、ボスにもどなたか同伴者が必要かと思います。懇意にされている女性などはいらっしゃいませんか」
「恋人、という意味ですか。いませんよ」

 声がやや不機嫌になったのは否めない。急な予定変更もさることながら、ジョルノは不必要に他人と距離を詰めることを望んでいない。もっとビジネスライクに物事を進めたいのだ。
 はすぐに提案した。

「それでしたら私の方でご手配いたします。ボスの同伴者として相応しい人材を選びますのでご安心ください」
「そういうのは面倒だ」
「ですが、あちらがパートナーを連れている以上、ボスお一人で参加というのはマナーに反するかと」
「直前にそんなことを言いだすアッチの方が失礼じゃあないか」
「仰る通りです」
「だったら、あんたが上手い具合に断ってくださいよ」

 は沈黙した。彼女は時々そうやって沈黙する。その数秒で彼女の脳はフル回転しているのかもしれない。

「困りました」

 ジョルノは思わずえ、と返した。
 機能性だけを追求したようなパンツスーツを着て、装飾品などの類もつけず、感情もあまり表に出さないロボットのような女が無表情で「困った」と言ったのだ。

「今、困ったって言ったんですか、君」

 強い興味に突き動かされてジョルノが一歩前に出る。
 は顔を上げた。濁りのない澄み切った瞳だった。

「言いました。私はあなたの秘書です。ボスにとって常に最善になるよう行動しています。ですが今回のように、助言を頑なに受け入れて頂けないのであれば、不本意ですが他の案を提案せざるを得ません。拒否することは可能です。先方には私から連絡を」

 ジョルノは軽く腕を上げ、の言葉を遮った。

「……わかりました、連絡は結構です。さんの言い分にはおおむね同意だ」
「では、手配してもよろしいのですか」
「面倒だが、それが最善なら仕方ない。ぼくもそういった社交性を多少は身に着けなければ、と思ってはいるんです」
「ありがとうございます。では、もしご希望があればお伺いします」
「何の希望ですか」
「女性の希望です。容姿や体型など、お好みがあれば」

 が迷いのない声で言う。ジョルノは壁にもたれ、軽く腕を組むと含みのある声で言った。

「色々と手慣れていますね、さん。確か前は、代議士だか議員だかの秘書だったとか。そういう業界では、女性の斡旋はよくあることですか」
「もちろんあります。今回はエスコートの相手ですが、お望みでしたら夜のお相手もお手配いたします」

 真顔で言うにジョルノは一瞬言葉を失った。
 確かにそういった仕事を淡々とこなすのも秘書の資質ではあるだろうが、あまりに機械的過ぎる。

「じゃあ、あなたが相手をしてくれますか」

 考えるよりも先に口をついた。ジョルノはハッとして口元を覆う。どう考えても不適切な発言だ。しかし後悔と同時に強い好奇心がもたげる。はたして彼女はどんな返答を導きだすのだろうか。

「それは、会食でのお相手ですか。それとも夜のお相手ですか」
「後者です、と言ったら?」
「お請けできません。契約外業務です」

 はきっぱりと言った。
 一瞬だけ、彼女の強い眼差しが揺れたような気もしたが、思い違いかもしれないと思える程度の揺らぎだった。
 ジョルノは慌てて言い訳する。

「すみません、さんの返事にちょっと興味があったもので。今のは忘れてください」
「承知しました」
「そんなにアッサリ承知していいんですか」
「はい」

 ジョルノ・ジョバァーナは考えていた。
 彼女は本当にロボットなんじゃあないか。いや、それはさすがに非現実的過ぎる。とは言え、少々風変わりな女性だ。秘書と呼ばれる人々が理知的であることは承知しているが、彼女は一味違うような気がする。

「一つ訊いてもいいですか」

 足を止めたジョルノが肩越しに振り返る。特別室はもう目前で、控えていたSPが扉に手をかけた。

「へんな質問じゃあない。ごく普通の、ちょっとした疑問です」
「はい、なんでしょうか」
さんは、休みの日は何をしているんですか。そこらへんの娘みたいに、カフェに行ったり、ショッピングしたりするんですか」

 ギャングには定休はないが、ジョルノはに定期的に休みを与えている。
 は二秒ほど沈黙した。それはもう彼女のクセなのかもしれない。

「ジョギングです」
「え?」
「たまに、射撃訓練なども」
「……」
「他に何かお聞きになりたいことはありますか」

 いえ、もう結構です。と言ってジョルノはSPが開けた扉から部下が待つテーブル席に戻った。

 その夜、整備公社の局長との会食は滞りなく終わった。が手配した女性はエスコート相手としては非の打ち所がない完璧さだった。




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