※新生パッショーネで色々捏造あり

ボスと笑わない秘書01



 その日、ジョルノが執務室に顔を出すとソファに見知らぬ女が座っていた。
 ぴんと伸びた背筋と理性的な瞳。特徴のない黒いパンツスーツを着ている。
 彼はたった今閉めた扉を振り返る。部屋を間違えただろうか、と一瞬考えたが、そんなことはなかった。
 マホガニーのデスクもしつらえられた調度品も、壁にかかる絵画も丁寧になめされたフルグレインレザーのソファセットも、毎日目にしている見慣れた光景であった。

「初めましてボス、私はと申します」

 女が立ち上がって礼儀正しく頭を下げる。所作は丁寧だが顔つきは無機質で愛想というものがまるでない。
 ジョルノは警戒しつつ近づいた。

「この部屋に来るまでには何重ものチェックがあったハズだ。どうやってここへ入ったんだ」
「幹部に同行して参りました。幹部は今、お手洗いに行かれています」

 そこでタイミングよく背後の扉が開き、グイード・ミスタが現れた。

「わりィ~わりィ~、なんか昨日から腹の調子が悪くってよォー、なんかヘンなもん食ったかぁ?食ってねーよなァ」

 下腹をさすりながら自問自答する彼は、数歩先で立ち尽くすジョルノの存在に気づく。
 親しみのある表情を浮かべて片腕を上げた。

「よ!ボス、調子はどうだ?勝手に入らせてもらってたぜ」
「それは構いませんが……、彼女は」
「そいつはオレの部下でってんだ、ベッラだろ?」

 にっと笑ったミスタが女を手招きする。女は歩み寄って彼の隣に並んだ。

「つーかよォ、フーゴから聞いてねえか?今日こいつを連れて行くって言っといたんだけどよォ」
「そうでしたか。すみません……ここのところ忙しくて」

 思い返してみれば確かにそんなようなことを言われた気もしたが、抱えている案件で頭がいっぱいだった。
 彼は改めて尋ねた。

「で、彼女は何なんです」
「こいつ、今はオレの部下なんだが、前はなんとかっつー議員サンの秘書だったらしくってそういうスキルがあるし、おまけにけっこう腕も立つ。ちょうどイイんじゃあねーかと思ってよ」
「ミスタ、要点を言ってください」
「オメー前に言ってただろ、スケジュール管理とかしてくれる人材が欲しいってよォ。今はフーゴが兼ねてるが、あいつもそろそろ手一杯だ。カネの管理とか広報とか、そっちがメインだろあいつは」
「まあ、そうですね」
「おまえ、最近まともにメシも食ってねえだろ、髪だってちょっと伸びてるぜ。そのシャツ、キチッとアイロンかけてんのか?イタリア男としてあるまじきことだぜ」
「髪はしばらく切れていませんが、シャツはクリーニングに出しています。そういうのはスタッフに任せています」
「だからよォー、そーいうのをまとめてやってくれる人間がいりゃあオメーだって楽だろ?こいつは素性もシッカリしてるし経験もある。取り合えず一か月、お試し期間だと思って使ってみてくれよ」

 ミスタは言って、ジョルノの肩に気安く手を置く。一応ボスと部下という関係だが、彼らにはそれ以上に深い信頼関係がある。
 ジョルノはゆっくりと息を吐いた。

「わかりました、ミスタがそこまで言うんなら」
「決まりだなッ」

 声を弾ませ、ジョルノの背中を豪快に叩く。
 短い挨拶を交わしてミスタが部屋を出ると、嵐が去った後のような静けさだけが残った。
 気まずい沈黙に耐えかねてジョルノが口を開きかけたそのとき、一瞬早くが言う。

「何かお飲みになりますか、ボス」
「ああ、そうですね。向こうに給湯室がある、案内しましょう」
「お気遣いには及びません。先ほどスタッフの方に一通り案内してもらいました。ボスは朝は濃いめのエスプレッソをお好みだそうですが、それでよろしいですか。それとも他に」
「それで結構です」

 が部屋を出て、執務室に一人きりになるとジョルノはジャケットを脱いだ。仕立ての良いスリーピーススーツは少々堅苦しくもあるが、なるべく着るようにしている。自身の置かれた立場を忘れないためだ。
 彼はまだハイティーンで、本来であれば高校に通い、放課後には学友たちとお喋りしたりサッカーしたりするような年代だが、運命は動いた。彼の両腕にはもう、この街の未来が委ねられているのだ。

 彼は脱いだジャケットをクローゼットにかけると、デスクにつき、パソコンを起動する。いつものルーティンを始めた。
 程なくして戻ったがカップをデスクに置いた。スタイリッシュな濃紺のカップで、横には小皿が添えられる。そこには色や形が様々なプラリネチョコレートが乗っていた。

(ぼくの好きなヤツだ……)

 ジョルノが顔を上げて礼を伝えると、は軽く会釈をして踵を返した。
 どこに行くのだろうと目で追っていると、は廊下へと続く扉の手前、観葉植物の鉢植えの横で足を止めた。

「何をしているんですか」

 たまらず声をかけると彼女は静かに振り返った。

「ボス、ここに私のデスクを置いてもいいでしょうか」
「……デスク、ですか」
「ちょうどこの空きスペースに置ける程度の小さなものです。この鉢植えは移動させて頂きますが……。もし気になるようでしたら何かパーティションで仕切ります」
「別室ではダメですか」
「できればこの部屋に置きたいのですが、どうしても目障りでしたらそれでも結構です」
「目障り……という程では」
「そうですか、ありがとうございます」

 言葉を濁したジョルノに対し、は承諾と受け取った。彼女は耳を疑うようなことを言った。

「では、運び入れます。スグに終わります」

 取り出した携帯でどこかへ連絡を始めると、数十分後、作業員が現れて配線工事まで終わった。すでに手配していたとしか思えない手際の良さだ。
 まるで初めからそこにあったような自然さで置かれたデスクに腰かけ、がパソコンを起動する。

「ボスの現時点でのスケジュールを頂けないでしょうか」

 彼女は顔を向けて言った。無駄な感情の含まれない明朗な声だ。

「わかりました。フーゴに連絡しておきます」
「これまでボスが直接されていた対外的なやり取りの一部は今後、私を介して行います。確認後、リストをお送りします」
「はあ」
「郵便物やメールも一度私の方で精査します。よろしいですか?」
「構いませんよ、雑務から解放されて嬉しいくらいだ」
「では、そのように」

 彼女はそれで会話を打ち切ったが、すぐにまた口を開いた。

「ボス、昼食はどうなさいますか」
「ランチですか?」
「何かリクエストがあれば、お店を見繕って予約しておきますが」

 ジョルノは柱時計に目をやって、そうですね、とつぶやいた。
 ランチなどどうでもいい、というのが彼の本音だった。何か軽食程度でいいのだが、それすらも正直に言うと面倒くさい。食べること自体が嫌いなわけではないが、優先度で言えば低かった。

「なんでもいいです」
「それは、私に任せていただける、ということでしょうか」
「あ、やっぱり待ってください。何か、軽いものを。外へ出るのは億劫だ」
「承知しました」

 会話が終わり、ジョルノはパソコン画面に意識を戻したが、彼女の視線は離れなかった。

「まだなにか?」

 やや低い声で尋ねる。ジョルノはすでにこのやり取りを面倒に感じていた。

「ボス、それは」
「それ?」

 ジョルノは振り返った。の視線が自分をすり抜け、部屋の隅に向いていると気づいたからだ。
 そこには一匹のリクガメがいた。ローチェストの下から姿を現したそれは短い手足を動かして床を前進している。ジョルノにとっては見慣れた光景だが、一般的には珍しい光景である。

「カメですよ」
「ペットですか」
「ええ、まあ」

 ジョルノは曖昧に答えた。ミスタの紹介とはいえ、まだ信頼関係の築けていない相手に秘密は明かせない。は納得したのかそれきり黙った。キーボードを叩き、事務作業をしているようで、ジョルノも自身の業務へと戻った。


 ランチタイム。のチョイスした軽いもの、はサンドイッチだった。
 新鮮野菜やサラミ、チーズがサンドされたもので、具だくさんスープもついている。これだけでしっかり五大栄養素が補えた。
 どこかの店でテイクアウトしたものだろうが、が席を外したのは数分ほどで、配達させたのか、スタッフの誰かに買いに行かせたのかは不明だ。

「君は食べないんですか」

 彼女はジョルノの食事をローテーブルにセッティングして、紅茶のポットを用意すると、すぐに仕事を再開していた。

「私は結構です」
「え、お昼抜きですか」
「今は結構です、という意味です」
「いつ食べるんですか」
「ボスから許可を頂ければ」
「じゃあ今一緒に食べたらいいじゃあないですか」
「それでしたら」

 言って、は足元に手を伸ばした。そこに彼女のバッグがあるようだ。ごそごそと漁り、何かを取り出す。

「失礼します」

 と断った上で、は何か、固そうなパンのようなものを口にした。
 それをデスクでもしゃもしゃと食べ始める。
 ジョルノは眉を寄せた。声をかけずにはいられなかった。

「……それ、何なんです、美味しいんですか」
「美味しくはありません」

 にこりともしないので、ジョークなのか何なのかわからない。上司の訝し気な目に気づいたのか、は言い添えた。

「美味しくはありませんが、栄養価は高いです。軍でも使用されている非常食です」
「そうなんですか、じゃあぼくもそれで良かったのに」
「それはいけません。ボスの食生活や生活習慣について、キチッと管理するよう幹部から言い渡されています」
「でも、栄養あるんでしょう?それ。だったら問題ないじゃあないですか」

 は二秒ほど沈黙した。

「栄養があるにはありますが、栄養機能食品に入っている栄養素と食品由来の栄養素とでは違いますし、ボスにはキチンとしたお食事をとって頂きたいと思います」
「だったら、あんたもそうしてください。そんなものをモソモソ食べられたんじゃあ気になって仕方ない」

 は手元の非常食を見つめ、「わかりました」と答えた。
 しかしすぐに「あの」と切り出す。

「なんですか」
「今日は構いませんか?食べかけてしまったので。それとも、今食べているのがもうすでに気に障りますか」
「気に障る、とは言っていない。気になると言ったんです」
「では、今日は食べても?」
「構いませんよ」

 ジョルノは言って、なぜそこまで彼女が美味しくもない固いパンのようなものを食べたがるのかを疑問に思った。
 見た目は冴え冴えとした美しさのある女性なのだが、今はチーズを食べるネズミのように例の非常食をもしゃもしゃと食べている。

「それ、本当は美味しかったりしますか」
「美味しくはありません」

 会話はそれで終わった。




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