ボスと笑わない秘書11
グイード・ミスタは焦れた様子でフロントガラスに目をやった。
通り向こうにはネアポリスの由緒ある正門カプアーナ門が鎮座している。門の先にあるカプアーノ城は卵城に次ぐネアポリスの古城で観光客も多く訪れる。
夜も更けた今、人通りはまばらだが、門の前広場に併設されたカフェテリアにはまだちらほらと客の姿があった。
「あのぉ、そろそろ約束の三十分です。幹部」
運転席の男が遠慮がちに声をかけてくる。
助手席に座るミスタはシートにどかっと身を沈め、足をダッシュボードに乗せた。
「イチイチうるせえ、おめーに言われなくってもわかってんだよッ」
「そうですか、すみません」
男が謝罪する。
一見気弱そうな色白の男だが、ジョルノに仇なす者に対しては一ミリの情もなくその全てを粉砕する、ドン・パッショーネ直属の親衛隊の一人だ。
新生パッショーネ設立直後はミスタ自身が警護の指揮を執り、彼自ら親衛隊メンバーを選抜したが、組織が巨大化する中で彼の役割も多岐に渡り、最も目をかけていた部下の一人を親衛隊のリーダーに据えてその役を退いた。
現在のミスタの役職は上級幹部、各都市の幹部を取りまとめる立場にある。
彼は昨日からミラノに出張していた。彼は定期的に各地域に出向き、それぞれの幹部と面談をしている。きちんと管理しているか、不穏な動きはないかなど探る目的もある。
「幹部、ちょっと聞いていいですか」
無音の車内で親衛隊の男が口を開く。
「なんだよ」
「今回の件、マジに首謀者はあの秘書じゃあないんですね」
「オイ、てめえ」
ミスタは隣の男に鋭い目を向けた。
「何度も同じことを言わせんじゃあねーぞ、今回のことはジョルノの意思だ。本人がそう言ったんだ。にゃあ手ェ出すな、指一本触れることも許さねえ、それがジョルノからの”至上命令”だ」
「ちょっと確認しただけじゃあないですか」
「だいたいなんでてめーがついて来るんだよッ」
「そう言われても、上司命令ですから」
「どうせ他の連中も来てんだろーが、おめーらはかくれんぼが上手いからよォ」
「すみません、それについては何とも」
「同行は認めてやる、だが手出しは許さねえッ、勝手に動くんじゃあねーぞッ、他の連中にもそう言っとけッ」
「あ、幹部」
運転席の男が前方に視線を転じる。ミスタも顔を向けた。暗がりから現れた二つの影がカプアーナ門の方へ近づいて来ていた。
ミスタは小さく息をついた。強気で捲し立ててはいたが、約束の三十分はもう目前だった。辺りには親衛隊のメンバーが息を殺して潜んでいるはずだ。もうこれ以上引き伸ばすことは不可能だった。
「ったく、ようやくお出ましかよ」
「ああ、ボス……よくぞご無事で」
「無事だっつってんだろッ、テメーはイチイチ大げさなんだよ」
車から降りたミスタは辺りを警戒しつつ、三叉路を渡って二つの塔の中心、アーチ型の門まで駆け寄った。
そこに立つ男女の姿を改めて見た彼は目を丸くした。
ジョルノはまるで学生のような風貌で、に至ってはプレイメイトのようなセクシーなミニスカートを履いている。
「おまえ、かッ!?イカすカッコしてんじゃあねーか。いつものスーツよりゃいいぜ、ちょっとパンツが見えちまいそうだけどよォ~」
「これはボスの趣味です」
「へえ~~~、おまえこういうのが趣味なの?」
にやにやと笑うミスタにジョルノは気のない返事を返す。
「違いますよ、ただの変装ですよ」
「いーっていーって、オレだってこういうエロいのは好きだぜ、ただちょっと意外だったってだけだよ」
「ミスタ、今日はミラノからわざわざすみませんでした」
会話を打ち切るようにジョルノが謝罪する。も後に続いた。
「申し訳ありません、全て私の責任です」
「さんは関係ない、言い出したのはぼくだ。責任ならぼくが取る」
「まァ待て待て、まずは乗れよお二人サン。話はそっからだ」
ミスタが立てた親指で車を指す。
ヘッドライトが一際強く光り、通り向こうに停車していた黒塗りの高級車が急発進した。回り込んで歩道に乗り上げると三人の真横に横付けされる。
運転席のパワーウインドウが下がり、顔を出した男が涙声で言った。
「ボス、お待ちしていました。よくぞご無事で……」
「ああ、君か。心配をかけてすまなかった」
「ボスに何かあったら……そのときは……我々はッ」
「そーいうのは後でやれって、さっさと帰ろうぜ。オレ腹へってんだよ」
言って、ミスタが助手席に乗り込もうとしたその時、荒々しい声と靴音が近づいて来た。
「待ちやがれッ!ようやくッ見つけたぜッ」
作業着姿の男が数人声を荒げて駆け寄って来る。みんな息を切らし、疲れ切った様子だった。
「ちょこまかと逃げやがってよォー、キッチリ落とし前ッうごォッ」
全てを言い終える前にミスタが銃底で殴り倒す。たった一発でのされた男を仲間二人が唖然と見つめた。
そして今、二人の背後に音もなく現れた別の男たち。不穏な気配を察した男二人が振り返り、腰を抜かす。車ごと取り囲むように現れた男たち、見た目や服装に統一感はないが、明らかにカタギではない凄みがあった。
「オメーらッ、やっぱいやがったなッ!どこに隠れてやがった」
「お久しぶりです、幹部。ボス、お迎えに上がりました」
「やはり来ていたのか。彼らはただの一般人だ、手出しはしないでくれ」
喚くミスタに対し、ジョルノは冷静に告げた。
闇に乗じて現れた部下、ボス直属の親衛隊の面々は、ジョルノの命令に静かにうなずいた。ジョルノもうなずき返すと、くるっと向きを変えて腰を抜かせた二人の男に近づいた。
「ええと、君でしたっけ?ケガしたの」
「ひいっ」
グイード・ミスタの銃口が男の頭部を狙っている。ほぼ同時、も銃を抜いてもう一人の男に突きつけた。一瞬だけジョルノがそちらに目を向けたが、何も言わずに顔を戻す。
親衛隊は上司の言いつけ通りじっとしているが、全員が臨戦態勢を取っていた。
「おーい、見てんじゃあねえよ」
ミスタが広場のカフェテリアに向かって叫ぶ。集まっていた視線が慌てて散った。辺りには不自然な静けさが訪れた。
ジョルノは微笑を浮かべ、中腰になって尋ねた。
「ちょっと見せてくれませんか、そのケガ」
「いやッ、こ、これは……」
「なァジョルノ、こいつら何なの?」
「ちょっとした不注意でボスが割ったグラスで怪我をした人です。誠意を見せろと仰っていました」と。
「へえ、そうなのかよ。そりゃあキチンと治療費払わねえとなァ」
「……き、傷は大したことはねえんだ、だからもういいッ」
「いいから見せろって、オレたち「ギャング」はカタギにゃあ手は出さねえ、ケガしたってんならキッチリ治療費は払うぜ?だがよォニイチャン、万が一オレたちを”かつごう”ってんならそんときゃわかってんだろうな」
「幹部、カタギには手を出さないと言うならこの倒れた男はどうしますか。気絶しています」
「あ?知るかよ」
「許してくれ……っ!あんたたちがギャングだなんて知らなかったんだッ!」
男が涙声で叫んで土下座する。もう一人の男も慌てて額を石畳に擦りつけた。
「土下座なんてやめてください。ぼくはただ、ケガを見せてくれと言っているんだ」
「こ……これは、一週間前に仕事中に負った傷だ。あんたにゃあ関係ねえ、もう、ゆるしてくれ……ッ」
「いいや、許せねえなァ、オメーらはとんでもねえことをした。「ギャング」をゆすったんだ、それがどれだけ愚かなことか」
「もういいでしょうミスタ」
行きましょう、と言ってジョルノが立ち上がる。
ミスタは肩をすくめると、小さく息をついて銃をウエストに突っ込んだ。も太もものホルスターに収め、それを見たミスタが口笛を吹く。
ジョルノたちが乗り込んだ車が発進すると親衛隊の連中も音もなく消えた。
後には気絶して白目を剥いた男と放心状態で膝をつく男二人だけが残った。
帰り道は混雑を避け、やや遠回りだがフォリア通りを抜け、事務所のある高台へと向かった。
助手席に座るミスタは後部座席の様子が気になって仕方がなかった。ジョルノとは何やら言い争っていた。
「ぼくは言ったはずだ、その銃を抜くことは許さないと」
「ええ、仰いました」
「それならなぜ抜いたんです。彼らにはもう抗う意思はなかったし、ミスタも親衛隊もいた。君が銃を抜く必要などなかったんだ」
どうやら、さっきがチンピラに銃を向けたことを咎めているようだ。
抜かなきゃただのお飾りだろォ、とミスタは思ったが、口を挟める雰囲気ではない。
ジョルノの口調は厳しかった。
「さん、今後一切、あなたの銃の携帯を禁じます」
「それは横暴です」
「別に趣味でやる分にはいい、ガンクラブで好きなだけ撃てばいいでしょう」
「待ってくださいボス」
「これ以上議論するつもりはない。これは命令だ」
「いくらなんでも一方的過ぎます」
「あなたがちっともわかってくれないからだ」
「ちょーーっといいかジョルノ」
ミスタが声を上げ、後部座席を振り返る。運転席の男もフロントミラー越しに目を向けた。
ジョルノは不機嫌そうに眉を寄せた。
「何ですかミスタ」
「さすがにそれはちょーっとヒドいんじゃあねえの?なんで抜いたらダメなんだよ、こいつの腕は確かだぜ」
「危ないからですよ」
「危ないって、そりゃあ銃だからな。素人が使ったら危ねえかもしれねーけどよォ、はキチンと鍛錬してる。そろそろ実戦で使った方が」
「実戦って何です、さんに人を殺せというんですか」
「必要ならな」
二人はしばしにらみ合った。
緊迫した沈黙が続く。ミスタはそれを打ち消すようにやや大げさに手を振って見せた。
「待てよ、オレだってどっちかっつったらおまえ寄りの考えだぜ。こいつに人殺しなんざさせたくはねえ。だが、は「ギャング」だ。それを選んだのはこいつ自身だ。オレたちはな、ジョルノ、おまえを守るためならいつだって命張るし誰だろうが脳みそぶちまけてやる。その覚悟があるんだよ」
「わたしもです……!」
叫んだのは運転席の男だ。彼はあまり空気が読めないようだ。
男がハンドルを切って、車は追い越し車線に移る。この辺りでは比較的きれいに舗装された通りだが、補修箇所が多く時々車体が大きく揺れた。
「私もです、ボス」
とが言ったのは、カヴール広場を通り過ぎ、ゆるやかな昇り坂に差し掛かったところだった。
車内の視線が一点に集まる。ミスタが運転手をこずいた。「てめーは前向いてろ、ボケ」
車は真っ直ぐに伸びた上り坂を走り抜けていく。
は体ごと向き直り、真剣な顔つきでジョルノを見つめた。
「心配してくださってありがとうございます、ボス。ですが今夜、私も覚悟を決めました」
「覚悟……?」
「はい。先ほどボスとお話しして、心に決めました。いつか誰かをこの手にかけるなら、それはボスのためであると。私はあなたのために引き金を引きます」
は右手を胸につけ、もう一方の手を添える。どこか冷めた目をした印象のあるだが、その瞳はほのかに熱を帯びていた。
「この手はもう、決して震えたりはしません」
なんかあったな、とミスタはすぐにぴんときた。
のジョルノを見る目つきが以前とは違う。これまでとは違う感情が心に芽生えて止められなくなっている、そんな様子だった。それに自身が気づいているかはさておき。
一方のジョルノも、視線のそらし方がやや不自然で余裕のなさを感じた。年齢以上に大人びた、常に他者を圧倒するような威圧感は今は成りを潜めている。
(なんだよなんだよ~面白ェことになってんじゃあねーの)
ミスタは内心でほくそ笑んだ。こういう身内のスキャンダルは格好の酒の肴だ。
しかもまだ、お互いに自覚なしという状態だ。
多少のよそよそしさはあったものの、それ以降の車内は穏やかだった。喋っているのは主にミスタで、彼はミラノの幹部の口真似をして場を盛り上げた。
「あの野郎、”君の話にエビデンスはあるのかい?”とか言うんだぜッ、ギャングがアジェンダがどーのコンセンスがどーのってよォー」
「コンセンサスです、幹部」
「そうそれそれ、テメエはどっかのビジネスマンかよッ!あーいうインテリはどうも好かねえ、なんであんなスカした野郎幹部にしたんだよジョルノ」
「彼は世襲です。もちろん実力もあるからですが」
「ほーそうかよ、オレにゃあそうは見えねえがなァ~」
ま、助かったぜ、とミスタが座席に腕をかける。
「今日フーゴから緊急要請があったときゃ正直やりーって思ったぜ、あの野郎と食うメシなんざマズくって食えたモンじゃあねえ」
「また改めて出向いてもらいますよ」
「げっ、マジかよ」
「ええ。それはそれですので」
「何度もご足労をかけてすみません、幹部」
「なーチャンよォ、マジで悪ィってんなら今度そのカッコでオレとデートしてくれねえ?」
「しませんよ」
即答したのはジョルノで、ちょっと拗ねたようなその表情をミスタはまじまじと見つめた。
服装のせいもあるが、そこにいるのが本当にただの高校生に見えて、ミスタの胸に懐かしさがこみ上げた。
ジョルノと初めて会った日のことを彼は思い出していた。
中学の制服に身をつつみ、ブチャラティに連れられてやって来たまだあどけない少年の姿を。まだほんの数年前の出来事なのに、ずいぶん前のことのようにも思える。あれから様々なことがあった。立ちはだかる壁を一つずつ乗り越えながら脇目もふらずに駆け抜けてきた。
一人感慨に耽る男の心中など知らず、ジョルノが問いかける。
「フーゴ、怒っていましたか」
「怒ってたぜェ、ありゃあ相当おかんむりだな」
「フォークとか刺されるんでしょうか」
が言う。「前に幹部、仰っていましたよね。フーゴ様は切れるとよくフォークを刺していたと」
ミスタが声を上げて笑った。
「おー懐かしいぜ、さすがにもうあんなことはねえな。あいつも成長したってことだな」
「以前、ナランチャという仲間がいたんだ。彼はよくフーゴに勉強を教えてもらっていたそうです」
「それでな、そいつがいっつも算数のひっ算を間違えるんだよ、それでフーゴの野郎がブチキレて刺すわけよ、フォークをよォ」
「彼らの話を君にまだきちんとしていませんでしたね」
ジョルノが姿勢を正し、畏まった調子で言う。
「さん、君に会ってほしい人がいる。彼も交えて、昔の話をしたい。とても大切なぼくらの仲間の話を」
ははい、とうなずいた。ミスタはしばらくの間助手席から二人を眺めていたが、顔を戻してシートに身を沈めた。
ゆるやかなカーブを何度も進み、高台の頂上付近までやって来ると車は広い庭園を持つ屋敷に入った。
隠すのではなく堂々とそこに居を構えている。パッショーネの本部事務所だ。
今夜は長い夜になりそうだ、とミスタは考えていた。フーゴを始めとする組織の主要メンバーが集まっている。
形式上の話し合いが行われるだろうが、最終決定は常にジョルノにあるのだ。これまでのジョルノは”良い子”過ぎた。組織のトップにふさわしい人間になるよう自分を殺してきた。これからはもっと自由に奔放にやればいいとミスタは考えていた。
「なー、アレねえの?」
裏庭の駐車場に車が到着すると同時、ミスタが言った。彼は剥き出しの腹をさすって見せた。
「昼からなんも食ってねえんだよ、腹へっちまってよォー」
「食事なら何かご用意しますよ」
「いや、アレがいいんだよ。アレ。持ってんならくれよ」
二人のやり取りを見ていたジョルノが首を傾げた。
「アレってなんですかさん」
は沈黙した。「着きましたよ」と運転手。到着の知らせを受け、すでに迎えに現れていた部下の一人が後部座席のドアを開けた。「お帰りなさいませ、ボス」と強面のSPたちが頭を下げた。
は無言で傍らのバッグから細長い小箱を取り出した。それをミスタに手渡す。ミスタは箱から中身を取り出した。ぴったりと包まれたアルミ包装を破り、棒状の固いパンのようなものにかじりつく。
「ジョルノ、おめーコレ食ったことある?うめーんだぜ、なんかどっかの軍で使われてる非常食とかでよォー、こいついっつも持ち歩いてんだぜ」
な?、とミスタが同意を求める。は視線を逸らした。
「……さん、あんたまだそんなものを」
「ボスの前では食べていません」
「やっぱり、夕食とかそれで済ませているんですね。ぼくの管理をする前にまずあなたが自分自身をキチッと管理すべきだ」
「なになに?なんの話?欲しいんならやるぜジョルノ」
「いりませんよ、そんなもん」
「そう言わずに一つ食ってみろよォ~、うめーんだぜコレッ」
「うまい……んですか?それ」
「美味しくはありません」
「おいおいなんだよ、オレの味覚がオカシイみてえじゃあねーの」
「行きましょうボス、幹部も。皆様がお待ちです」
が感情のない声で促す。屋敷の裏口から姿を現したフーゴが鬼の剣幕で駆け寄って来ていた。
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