眼科とヨガと料理教室と催眠術1



「団長、あれじゃない?」

 あるオークションハウスへ向かう車中で運転席のシャルナークが言った。シャルの視線の先を追えばよく見知った女が一人、緑や赤や金色に飾り立てられた街を歩いている。車は渋滞のせいで遅々として進まず、反対車線の歩道を歩くその姿は徐々に近づいて来る。

「何してんのかな、一人で」
「さあな」
にも一人の時間があるんだね、当たり前だけどさ」

 シャルナークはウインドウを半分まで下げると物珍しそうに眺めた。

「デートだったりして」
「あの女を相手にする男がいるなら是非見たいもんだ」
「うわーひど」
「酷いか?俺はあいつに付きまとわれて心底迷惑しているんだ」
「そんなこと言って、追い返さないじゃん」
「いいから前を向け。信号赤だぞ」

 シャルが慌ててブレーキを踏んだ。横断歩道を人が波となって行き交いはじめる。街中が電飾できらめくこの時期は誰もが浮ついている。至る所にサンタやトナカイの人形が飾られ、百貨店やショップは人々の購買意欲を上げようと躍起だ。

「確かにって団長のタイプじゃないけどさー、可愛いと思うんだよね」

 シャルナークは窓から右腕を出し、手のひらを翳してちょうど空から落ちてきた雨粒をつかまえるような仕草をした。シャル越しに見えるは暖かそうなマフラーを巻いて細身のデニムにスニーカーを履いている。足早に歩く姿は確かに何かしらの目的を持っていそうだ。

「そう思うならお前が相手をしてやったらどうだ」
「やだね、他の男にぞっこんな女なんてさ」
「ぞっこんじゃなければいいのか?あいつのバカっぷりは三ツ星ハンタークラスだぞ?」
「いいじゃんバカな子、可愛いよ」
「料理のマズさは五ツ星ハンターだ。俺は何度腹を下したかわからん」
「なにそれ惚気?」

 信号が青へ移り、車列は再び動き出すが渋滞は一向に緩和される気配がない。それ以上会話をする気にもなれず、息をついて目を閉じた。

 幼い頃から一緒に育ったは、とにかく鈍臭くて念の習得も出来なかった。
 ホームにいても仮宿にいても自然と姿を現して俺に付きまとう。最近は手料理という名の毒物つきだからたまったもんじゃない。一度目の前で料理を捨ててやったらマチとパクに散々文句を言われた。当の本人はけろりとして翌日も翌々日もやってきた。それならとの前で他の女と抱き合ってみせたがそれでも効果はない。あいつの神経の図太さは筋金入りだ。

「あれ、なんかビルに入ってったよ」

 シャルナークが今度は窓から身を乗り出して言う。
 ハンドルを握る気はもはやないようで仕方なく俺が右手で操作をするはめになった。

「おい、いい加減にしろシャル」
「ね、見てよ団長。あのビル、あのレンガのビルに入ってったよ」

 あいつの行動になんの興味もないがシャルナークがしつこいでの視線を向ける。街路樹の間から見えるの後ろ姿は古ぼけた雑居ビルに消えた。
 一階はテラス席もあるカフェだがはその横の小さなエントランスに入った。
 自然とビルの看板を見上げれば、2Fサン眼科、3Fル・ワンダヨガ教室、4Fクリス料理スクール、5・6Fサージェス催眠術師養成学校、となっている。

「眼科とヨガと料理教室と、催眠術……?」

 読み上げてから、シャルナークが訝しげに振り返る。

「普通に考えて、料理教室あたりかな?」

 もうすぐクリスマスだしさ、とフォローを入れてシャルがハンドルを握りなおす。俺はやっと右腕一本での操作から解放された。

 眼科とヨガと料理教室と催眠術

 ちょうど車は交差点に差し掛かり、目的のオークションハウスに向うために左折した。
 大通りを外れると徐々に流れるようになり、快適とまではいかないまでも進み始める。

 眼科とヨガと料理教室と催眠術

 まるで何かのキーワードのように頭から離れない。
 気がつけばこめかみを指で押さえていた。
 シャルが横目に言った。

「きっと美味しいクリスマスディナーでも習ってるんだよ」
「そんなことより「聖夜の誓い」は確かにノエル・オーギュストに出品されるんだな」
「ん?うん、間違いないよ。確かな情報だから」

 手馴れたハンドル捌きで車線変更を繰り返しながらスピードを上げる。しばらく進むと遠目に寄り添うように建つ二つの高層ビルが見えてきた。表向きは貿易会社の持ちビルだが裏の顔は違法なオークションハウス、ノエル・オーギュストだ。
 二つのビルを結ぶスカイウォークや屋上は一般にも開放されており、この時期は人で賑わう。その傍らでは世界中の名だたる資産家を集めた大規模なオークションが開催される。出品されるお宝は盗品や曰くつきの逸品ばかりというアングラな競売だ。

「当日までにセキュリティは変更になると思うから、今日はビルの雰囲気だけ見とく感じで」

 シャルナークがのん気な視線を双子ビルに向ける。余裕に構えているのはすでにセキュリティの変更パターンを解読しているからだ。もちろんイレギュラーへの対策にも抜かりはない。

「開催日の予定はわかったのか」
「第一候補は24日の夜だけど、まだまだ流動的だと思う」
「24日?それならこの話は無しだな、予定がある」
「え!?でも「聖夜の誓い」だよ!?団長ずっと前から狙ってたじゃん」
「悪いな、だがその日はとデートだ」

 シャルナークが口を半開きにしたまま俺を見る。ハンドルを握る腕から力が抜けたようで車体は蛇行をはじめた。仕方なく手を伸ばしてハンドルを操作する。

「シャル、ふざけるのも大概にしろ」

 たとえここで電柱に突っ込もうとも俺とシャルなら無傷だろうが面倒はごめんだ。

「団長?……イヴにとデートするの?」
「冗談はやめろ、誰があんな女と」
「え?でも今団長自分で言ったよ?」
「言う訳ないだろ。そんなことよりも運転に集中してくれないか」
「……そ、だね、ゴメン。えっとじゃあ、24日はノエル・オーギュストを狙うってことでいいんだよね」
「だから言っただろう、その日はと、」

 そこまで言って我に返った。シャルナークも呆然と俺を見ている。俺は今何を?
 と?
 あいつと何だ?

「──団長……大丈夫?」

 そこでふと頭をよぎるのはさっきの雑居ビルに消えるの後ろ姿。

 眼科とヨガと料理教室と催眠術

 シャルナークが神妙な声で訊ねてきた。

「団長、に何かされた……?例えば、蝋燭の光をじっと見ろだとか揺らしたコインを見ろだとか」

 24日、とデート、ディナー、などのキーワードが次々と浮かぶ。それらは確かに効力を持って存在している。だがいつ交わされた会話なのかと考えると全くの空白になる。

「あーあ、団長があんまり冷たいからが強硬手段に出ちゃったか」
「少し静かにしてくれ」

 心当たりはある。
 先日アジトに現れたあいつに鏡を見せられて、そこから数分間の記憶が抜け落ちている。なぜ今の今まで怪しまなかったのか。あの女殺してやる。

「シャル、行き先変更だ。さっきのビルまで戻れ」

 舌打ちする俺の横でシャルナークがアイサー!と声を弾ませた。




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