※夢主の恋人(モブ)描写あり

私の愛したただ一人の男01



 あれは親族が集まったナターレの夜の、チェーナ(夕食)での出来事だったと思う。
 すっかり退屈していた私は、同じく退屈していたいとこのジェレミーに腕を引かれて裏庭に出た。
 子供特有の特に生産性のない会話の末に、ジェレミーが言った。

「ねえ、ちゃん、大きくなったらぼくのお嫁さんになってよ」
「いやよ、私大きくなったらお兄ちゃんと結婚するの」

 間髪入れず拒否した私に対し、いとこは言った。

「え、できないよ。だってちゃんとプロ兄ちゃんはきょうだいだもん」
「きょうだいだとできないの?」
「できないよ、そんなの常識だよ」
「どうして?」
「……どうしてって、きょうだいは血が繋がってるから」
「でも、私とお兄ちゃんは半分しか繋がってないよ」
「そうなの……?」
「うん。ママが言ってた」

 それでもダメなの?と詰め寄る私にジェレミーは自信をなくした様子で目を泳がせた。

「えーそれは、わかんない」
「どうしてわかんないの?大切なことだよ」
「えっ、えー……じゃあ、できるんじゃない?」
「そうかな?」
「うん、半分だし」
「そうよね、半分だもんね」

 私はこの”半分”という言葉を幼いながらに拠り所にしていた。
 周囲の大人に問えばすぐに解決する問題を、私はできる限り先延ばしした。たぶん、薄々勘付いていた。たとえ半分だとしても、兄妹は結婚できないということを。


 私と兄は近所でも有名な兄妹だった。自分の容姿が人より優れていることには気づいていたし、それは兄も同様だった。いや、私なんかより、兄はずっとずっと綺麗だった。成長と共にその美貌に磨きがかかり、眩しいほどの美少年に成長していた。ただ、兄はその美しさに反して美醜に疎く、ものすごく素行が悪かったのもあって、彼の噂は悪名と共にとどろいた。

「あ、お兄ちゃんまた怪我してるッ!」

 透き通るような肌に、細くしなやかな手足に、擦り傷や殴打痕を平気で作る兄に私はやきもきした。救急箱を手に駆け寄ると、兄はいつもの仏頂面で面倒くさそうにする。こんくらい平気だ、とか、放っとけよ、とか素っ気なく言うくせに、最後には私の手当てを受け入れる。

「いってぇーなァッ、ッ、どうせやんならもっと丁寧にやれよ」
「やってるよ。今日は誰とケンカしたの?」
「おまえが知る必要はねえ」

 彼の返事はいつも同じだった。だけど私は知っている。兄は決して弱いものいじめはしないし、自分の信念を貫くためなら多対一でも怯まず(背中に鉄パイプを仕込んで)果敢に挑んでいった。

 無邪気に「お嫁さんになる」なんて言えた時期はとっくに過ぎ、私はこの想いをひた隠しにしていた。
 正直に言うと、自分でもよくわからなかった。結婚したい理由が、一生そばにいたいから、という単純明快なものだったから、ちょっとばかり度を越したブラコンと言えなくもない。ただ、誰かに兄を取られるのは我慢ならなかった。だから兄に群がる女たちとは一言も喋らなかったし、イヤな子だと陰口を叩かれても決して馴れ合ったりはしなかった。

 私は中等部に入学した。この頃から、私は急激にモテるようになった。兄に比べたら私の美貌なんて薄めたカッフェのようだったけれど、それでも何度も愛の告白を受け、デートに誘われ、知らない大人の男に付きまとわれたりもした。
 一度、しつこく待ち伏せされ、プレゼントを押し付けられ、何度もデートに誘われたことがあった。相手は高校生で、わりとハンサムだったけど、兄以外は眼中になかったのできっぱりと断って、その後は徹底的に無視した。すると男は実力行使に出た。数人で待ち構えて、私は無理やり連れ去られそうになった。そのとき、まるで疾風のように兄が現れた。
 相手は逆上していたし、兄も気が短いのですぐに乱闘になった。初めはおろおろして見ていた私にも、その実力差はわかった。男たちの大ぶりな動きに対し、ケンカ慣れした兄の動きは素早く無駄がなかった。囲まれて背後から羽交い絞めにされたときも、背を反らせて両足を浮かせ、眼前に迫る男を蹴り飛ばし、後ろの男には苛烈な頭突きを食らわせた。兄が愛用の鉄パイプを振るうまでもなく彼らは逃げ出した。これには少し誇張があるかもしれないし、今となっては記憶が勝手に改ざんしている部分もあるかもしれないけど、とにかく兄は強かった。

「おまえには危機感が足りねえッ、自分が周りにどんな目で見られてるかもっと自覚を持てよ」
「それ、そっくりそのままお兄ちゃんに返すよ」
「オレのことはいいッ、おまえは女だ、何かあってからじゃあ取り返しがつかねえッわかってんのか?」
「わかってるよ、気をつける」
「……まァ、不可抗力の場合もあんだろうからよォ、そんときゃあオレに言え。オレがおまえを守ってやるッ」

 兄はちょっと照れくさそうに、だけど力強く言った。

 当然だけれど、このときの私はもう、兄妹は結婚できないと知っていた。たとえ”半分”でもダメなのだと知っていた。世の中は理不尽だった。

 私は14歳になって、高等部に進学した。兄と同じ高校に通いたい一心で苦手な理数科専攻の高校を選んだ。
 私は自分の曖昧な感情に答えが出せないまま、それでも兄が好きだった。


 その日は酷い嵐の夜だった。両親は遠縁の葬儀に出席するため不在だった。今夜は戻れないとママ(兄にとっては継母)から連絡があった。
 時々とどろく雷鳴に怯える私に、兄はホットミルクを淹れてくれた。お砂糖はスプーン二杯、頭も撫でてくれて、私は満ち足りていた。
 一見荒っぽくて面倒くさがりで、目つきも悪くてハイティーンらしからぬ威圧感を持つ兄だけど、私には優しかった。いつだって気にかけてくれた。こんなふうにして一生傍にいられますように、と私はこっそり祈った。

 眠れないので、私と兄は大判のブランケットを二人でかけて映画を観ていた。その夜たまたま放送されていた映画はなんてことはないサスペンスで、後で知ったけれど、それはR指定だった。
 激しいキスシーンがあった。その後、もつれあうように男と女は一つになった。
 兄はちょっと居心地悪そうにしていて、艶めかしく悶える女から目を逸らした。私はというと、釘づけだった。

 突然、本当に唐突に理解した。私はこれがしたい。兄とこんなふうにしたい。私の”好き”はこういう種類の好きなのだ。まるで雷に打たれたような衝撃だった。
 背中に鳥肌がたつのを感じた。兄がソファから腰を上げたので腕を引っ張った。兄はリモコンに手を伸ばしていて、テレビを消そうとしていた。画面からは例のあの声が流れている。聴くに堪えない声だけど、私は妙な感動のようなものを覚えていた。

「もう寝ようぜ」

 兄が言った。だから手を離せ、と目が言っている。ずれたブランケットが足元に落ちる。私は兄の少し逞しくなった腕をつかんだまま、彼の涼し気なブルーの瞳を見つめた。

「私、お兄ちゃんが好き」
「オレも好きだぜ、
「愛してるの」
「オレも愛してる、はたった一人のオレの可愛いソレッラだ」
「私はお兄ちゃんとセックスがしたい」

 私は兄の皿のようになった目を見つめながら、想いのたけをぶつけた。
 初めて自覚したあのナターレの夜から今夜までの、ふっくらと成長した私のこの胸にはもう収まりきらない想いの全てを。

 優しい兄は私を邪険にできず、どうにか説得しようとした。
 おまえは今思春期で、多感な時期で、そういうのに憧れる時期で、だからそれは勘違いで、「じゃあキスでもいい」私はかぶせるように言った。

「セックスがダメならキスして」

 兄は困り切った顔をしていた。美しくつりあがった眉を寄せ、深く澄んだ瞳を揺らして。

 兄は私の頭を撫でて、頬にキスをくれた。これまで何度としてきた家族のキスだ。そんなものでは納得できない私に対し、彼は正直な気持ちを伝えてくれた。

、オレはおまえを愛してる。これまでも、これから先もッ。おまえに何かありゃあなんとしても助けてやる。どこにいようが駆けつけてやる」

 だけど、と兄は続けた。

「抱くことはできねえし、キスも、が望むようにはしてやれねえ」

 その日以来、私はまたこの気持ちをひた隠しにした。
 もう決してひょっこり出てこないように、胸の奥の奥の底の方に沈み込ませた。
 私がこれ以上突き進めば「妹」としてすら愛してもらえなくなる。それだけは何としても避けたかった。





「オメー何やってんだ」
「あっ、み、見ないで……!」

 窓辺のテーブルで書き物をしていた私は、慌てて日記帳を閉じた。まるで一冊の本のような布張りの装丁の日記帳で、ダイヤルロック式になっている。

「何書いてんだよ」
「ただの日記よ」
「そのわりにゃあ根詰めて書いてんじゃあねえか」

 兄はまだ眠そうな顔であくびをすると、後頭部をわしゃわしゃと掻きながらキッチンへ向かった。寝癖で跳ねた毛先と寝じわのついた背中がたまらなく愛おしい。

、カッフェ飲むか」
「飲む」
「じゃあカップ出せ」
「はーい」

 ところで私は二十歳になった。
 ここは兄の住まいで、私は二日前からお世話になっている。正確に言えば、転がり込んでいる。

「それでオメー、いつまでいる気だ。さっさと仲直りしちまえよ、その婚約者とよォー」
「酷いなあ、そんなに追い出したいの?」
「そうじゃあねえが、こういうのは長引いた分だけ帰りづらくなんだろォ?そいつ、なんつったっけ、オメーの男」
「ジュリオ」
「そのジュリオって野郎も今頃心配してんじゃあねえのか」

 よく使い込んだエスプレッソメーカーを取り出して、手際よくカッフェを淹れ始める。そのしなやかな手つきに一瞬目を奪われて、慌てて逸らす。そこに兄がいるというだけで、私の胸は勝手に高鳴ってしまう。
 何食わぬ顔で妹を装っているけれど、私は今でも兄が好きだった。それはもう、狂おしいくらいに。

 兄の住まいは単身用にしては広く、古ぼけた感じの素朴な部屋だった。自然光をふんだんに取り込める大きな窓があり、テラコッタのタイル張りの床も、アンティークな感じのテーブルセットも、兄以外の意思を感じたし、バスルームの洗面台には普通に女性物の化粧水があった。

 二人でカッフェを味わい、簡単な朝食を終えると、兄は身支度を始めた。

「今夜は戻れねえかもしれねえが、明日は時間が取れるからよ、観光でもショッピングでもなんでも付き合ってやるぜ」
「わかった。気をつけて」
「戸締りだけはキッチリしろよ、ここはあの田舎町じゃあねえんだ」
「わかってる。行ってらっしゃいお兄ちゃん」

 彼は私の頬にキスをして、頭をぽんと撫でてから出て行った。
 一人で過ごすには広すぎるリビングで、兄のタバコを一本拝借してみる。苦くてけむったくて、私はそれをすぐに灰皿でもみ消して、窓辺のテーブルに向かった。
 書きかけの日記帳を再び開き、ペンを取る。日記というよりは過去の記憶をつらつらと書き綴っただけのその文は、嵐の夜で止まっている。まだ先は長い。





 聖書には多くの近親相姦が記されているというのに、この現代社会ではタブーとされている。それはやっぱり劣勢遺伝の問題だろう。人間はそうして進化を遂げてきた。私はそこから外れてしまった少数派だった。
 兄ほどではないけれど、私も美しく成長した。恋愛で苦労した記憶はなく、手に入らない男はいなかった。ただ一人、心から切望して、恋い焦がれた男をのぞいては。

 記憶は高等部までさかのぼる。
 あの嵐の夜以降も、兄の態度は変わらなかった。ただ少し、ハグがぎこちない。微妙に距離を取られていると感じた。
 だから私は精一杯「妹」を演じた。彼の信頼を取り戻すために必死だった。あれは多感な時期が見せた幻のような感情だった、と自分自身すらも偽って。
 ダンスパーティーでパートナーとなった男と初めてのセックスもした。ただ、最後まではできなかった。びっくりするほど濡れなくて、苦痛な時間だった。

 その頃から兄は不在がちになった。自宅に戻らず、どこで過ごしているとも知れなかった。もうずっと両親との折り合いが悪かったのだ。特に、私のママとは最悪の関係で、彼はマトゥリタ(卒業資格試験)を待たずに姿を消した。

 姿を消す前夜に、兄は私の部屋を訪れた。もうずっとそんなことはなかったので、私は大いに驚いたし、嬉しさを隠すのに必死だった。

「明日この街を出る。大学に行く気もねえし、これ以上あいつらの世話んなんのも癪だしな」
「……どこに行くの?何をするの?」
「それはまだわからねえが、少なくともこの街にゃあオレのやりたいことはねえ」

 南イタリアの小さな地方都市。無限の可能性を秘めた兄には確かに狭すぎる街だった。それでも私は引き止めた。必死で、なりふり構わず。
 そして、胸の奥深くに封印したはずの想いをついうっかり吐露してしまった。

「行かないでっ、お兄ちゃんが好きなのッ、愛してもらえないなら、せめて妹でいさせて。近くにいたいの。お兄ちゃんがいなきゃダメなの……っ」

 私は恥も外聞もなく縋りついた。兄はそんな私の手を取って握り、これまで訊いたどんな声よりも柔らかな声で私の名を呼んだ。そのまま抱き寄せられるんじゃないかと錯覚するくらい、私たちの距離は近かった。
 兄が次の言葉を発しようとしたそのとき、部屋のドアが開いた。運が悪いことにママが通りがかっていて、会話を聞かれていた。ママは凍り付いたような顔で私たちを見ていた。

 ママは兄を罵り、非難した。兄はそれに対して一切の弁明もしなかった。ママは私の声なんて耳に入らない様子で、私が一方的に好きなだけなのだと、彼はちゃんと私を拒否したのだと説明しても取り付く島もなかった。
 宣言通り、兄は姿を消した。はからずも、私は兄を引き止めるどころか、彼の背を押す一助となってしまったのだ。

 そして、季節がめぐった。私は一時期不登校になって、部屋に閉じこもりがちになった。兄の消息は不明で、高校でも彼の行き先を知る人間はいなかった。

 私は17歳になった。
 誕生日にはたくさんの贈り物があった。愛の告白もされた。それを全部断って、私はさっさと下校した。ママは不在で、リビングでぼんやりしていると宅配便が届いた。それは透明なケースに入った花束で、ベルベットのような艶のある赤いバラだった。
 家まで送りつけてくるなんて、と半ばうんざりした気持ちでカードを見ると、

Auguri

 と記載されていた。おそらくグリーティングカードでもっとも使われるだろう平凡なそのメッセージに、私は突然涙があふれた。
 逸る気持ちで送り状を見る。見知らぬ住所と記名があった。記された電話番号を鳴らすも通じず、私はその人物あてに手紙を書いた。一週間後、手紙はあて先不明で戻ってきてしまった。兄だ、と私はもう確信していた。この花の送り主は兄だ。胸が千切れそうだった。恋しくて恋しくて、ひと目でもいいから兄に会いたかった。

 花束は翌年も届いた。贈り主の名前も住所も前回とは違ったけれど、メッセージは同じだった。
 住所がネアポリスだったので、私は高校の長期休みを利用してネアポリスを訪れた。そしてまわれる限りの花屋に足を運び、兄の特徴を伝え、その時期にバラの花束の宅配を依頼した客がいないか調べてまわった。何日も不在にする私にママはもう何も言わなかった。

 そして、私はついにその花屋を見つけた。
 兄は黙っていても目立つ容貌をしていて、店員の記憶に残っていた。私に兄の面影があったのも功を奏した。
 兄は偽名を使い、住所もでたらめだったので、彼の所在に関する情報は店にもなかったけれど、店員の女性が「その彼、この先のバルで見かけたことがあるわ」と教えてくれた。

 私はそのバルに通い詰め、ほとんど終日過ごした。持参した本はもう全て読み終わり、そろそろ夏が終わる頃だった。私の願いはついに叶って、兄との再会を果たした。

 久しぶりに会った兄はすっかり大人の男になっていた。がっしりと逞しくなって、肩幅も広く、顔つきも精悍で、鋭さが増していた。服装の趣味も変わり、胸元が大きくはだけたシャツに目立つ柄のスーツを着込み、まるでギャングのような出で立ちだった。

 兄は驚いたものの、私を抱きしめてくれた。私は涙で彼のスーツを濡らした。涙はとめどなくあふれて、私はしゃくりあげて泣いた。
 もう妹でもいいと思った。こうして会えるなら、たまにハグして、頬にキスをくれて、あの大好きな手で頭を撫でてもらえるなら、もうそれでもいいと思った。

 私は兄の携帯番号をゲットすることに成功して、彼の部屋に一泊してから帰路についた。生まれ育ったあの地方都市に、兄のいないあの街に。

 その後、私と兄はたまに連絡を取り合い、取り留めのない話をしたり、たまに長電話をしたり、長期休みには会いに行ったりしてまた季節がめぐった。




Auguri:あなたに良いことがあるように祈っています

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