※暗チ・兄貴の独自解釈あり

世界は色であふれている01



 プロシュートは目を覚ました。白いだけの素っ気ない天井に、シェードのかかった照明器具がぶら下がっている。
 横たわった体はそのままに、目線だけを動かす。壁には派手な色味の前衛的な絵画がかかっており、ベッドサイドにはラタンの編み込みチェアが一脚だけ置いてあった。そこに少女が一人、腰かけている。

「あ、起きた」

 少女はそれだけ言うとチェアから飛び降り、マンマ!と叫びながら部屋を走り出た。
 プロシュートは素早く身を起こすが右肩が痛んだ。ここはどこだ、という当然の疑問と、負傷した際の記憶が同時によみがえり、彼は舌打ちする。
 木製のブラインドは全開で、そこから淡い日差しが差し込んでいる。窓辺に身を寄せて覗くとどうにか飛び降りられる高さだった。

「やめた方がいいわ」

 戸口から声がした。

「ここは二階だけど、今のあなたが飛び降りられる高さじゃあないわ」

 長身の女が小さなトレイを手に立っている。小ぶりな器からはまだ湯気がたち、溶かしバターの香りがした。女の腰から先ほどの少女がちょこんと顔を出す。

「そう警戒しないで。と言うよりも、あなたはむしろ感謝すべきだわ」
「テメーは誰だ」
「私?私はオルガ、こっちは娘の
「名前なんざどうだっていい。ここはどこだ」

 女は少し困った顔をした。腰にまとわりついてくる少女を空いている方の腕で抱く。

「ここは私たちの家で、あなたは玄関先で倒れていたの。助けを呼ぼうと思ったけれど、それは困るって言ったのよ、あなたが。そのまま見過ごす訳にもいかなし、なによりこの子が」

 そこでオルガは娘に目線を落とす。優し気な目つきだった。

「助けてあげてって言ったの。だから、あなたは彼女にお礼を言うべきだわ」

 プロシュートは改めて少女を見た。少女は少しだけ瞳を大きくした。
 鋭い目つきで押し黙る男にオルガは溜息をつき、ベッドへ戻るよう促す。プロシュートはそれにも従わず、壁にもたれた。
 オルガはそれ以上言及せず、手にしたトレイをサイドテーブルに置くと、ラタンのチェアに腰かける。少女が飛びつくように膝に乗った。

 二人はプロシュートの背後に音もなく出現したスタンドには目もくれない。見えていないのか、敢えてそう装っているのかは判然としないが、まだ十歳かそこらの少女にその演技ができるとは到底思えない。そもそも危害を加えるならば、目覚める前に心臓を一突きすれば事足りる。彼はついさっきまで泥のように眠りこけていたのだ。早急な危険はないと判断し、彼はスタンドを解除した。

 以前看護助手をしていたことがあるの、と前置きして女は話し始めた。

「あなたのその傷、深くはないのよ。だけどあなたは気を失ってしまったし、運ぶのに苦労したわ。その傷、ナイフでもないし銃創でもないわ。いったい何でついた傷なの?」
「……さあな。あまり記憶がねえんだ」

 もちろん嘘だった。彼は任務のためにこの地を訪れ、早々にターゲットを排除した。が、情報にはないスタンド使いがおり、止めを刺す際に相手の攻撃が肩をかすめた。さほど深い傷ではないが、全身のしびれと筋肉の麻痺、呼吸困難を起こし、残党を全て処分し終えると行き着いた先で力尽きた。おそらく神経毒の類だろう。なんてザマだ、と彼は苦々しく思う。

 今回プロシュートが受けた任務はパッショーネと敵対する新興勢力の幹部を一人殺ることだった。「紺碧の海」という組織名で、パッショーネのバッヂ同様彼らにも紋章がある。アルファベットの”M、B、S”をもじったデザインで、彼らはその文字を身体のどこかに身に着けている。一人は指輪に、もう一人はタトゥにその文字があったが、それ以外は確認できなかった。

「あなた、三日三晩眠っていたのよ」
「なんだと?」
「酷い高熱でね。でも、ようやく落ち着いたみたい。良かったわ」

 プロシュートは改めて身なりを確認した。身に着けているのはスラックスにシャツだけで、上着がない。攻撃を受けた肩口はシャツが裂け、そこからメッシュテープで固定されたガーゼが見えた。おそらく本当に簡易な手当なのだろうが、痛みはさほどなく、末端のしびれと口渇感、熱っぽさだけを感じた。

「オレの上着はどこだ」
「そこよ」

 少女が横から口を挟んだ。彼女はクローゼットを指さしている。プロシュートはおぼろげながらも、少しずつ思い出していた。朦朧とした意識の中で、この少女は水枕を変えたり汗を拭いたりと甲斐甲斐しく働いており、すっかり世話になっていたことを。

「さあ、降りて

 オルガが言うと少女は素直に母親の膝から降りた。さて、とつぶやいてオルガが立ち上がる。

「私、これから出勤なの。何か困ったことがあったらに言って」
「ちょっと待て」

 プロシュートが引き留めると女は首を傾げた。

「おかしいだろ、こんな得体の知れねェ男と娘を置いて出かけんのか?平和ボケにも程があるぜ」

 女は不美人ではないが美人でもなく、これといった特徴のない顔立ちをしていた。スタイルは良く、黒いパンツスーツに身を包み、同じ色の髪は肩までのワンレングスだ。いかにも北の女という雰囲気だが、澄ましたところはなく、親しみやすい笑みを浮かべた。

「ねえ、彼、今どんな色してる?」
「えっとね、困惑の色。疑いの色と、少しだけ感謝の色も」
「危険な色はある?」

 少女はかぶりを振る。プロシュートの端正な顔立ちが訝し気に歪んだ。

「……なんの話だ?テメーら、ドラッグでもキメてんのか」
「常飲してるのはピルだけよ。後は頼んだわね
「はーい」
「うちは母子家庭だから気兼ねしないで」

 ひらひらと手を振ってオルガが部屋を出る。残されたはラタンのチェアに座りなおし、大人びた瞳で彼を見つめた。

 人の感情が色で見えるのだと少女は語った。常人ならば一笑に付すような話だが、プロシュートはスタンド使いだ。その手の能力者がいたとて不思議ではない。しかし、には彼の「ザ・グレイトフル・デッド」は見えておらず、スタンドという概念も知らなかった。潜在能力、というやつだろうかと彼は考えるが、答えは出なかった。

 サイドテーブルに置かれた器には白がゆが入っていた。バターとレモンの優しい味わいで、彼が全て平らげると(とても空腹だった)、空の器を持って少女は部屋を出た。

 小さな足音が階下に消えるのを待ってプロシュートは動く。
 クローゼットを開けるとの言う通り彼の上着がかけてあった。シャツ同様肩の部分が裂け、もう二度と袖を通すことはないだろう。
 内ポケットをまさぐり、目当てのものを探し当てる。取り出した携帯電話を操作して目的の人物を呼び出した。
 相手はすぐに出た。

『プロシュートか、今どこにいる』

 冷厳としたいつもの口調だがやや早口だった。定期連絡がないことに業を煮やしていたのだろう。

「ターゲットは殺った。一緒にいたヤツの仲間もな」
『やけに時間がかかったな。負傷したのか』

 一瞬の間を肯定ととらえ、電話口の相手、リゾット・ネエロが続ける。

『護衛にスタンド使いがいただろう。そいつは最近入った新人で、資料から漏れていた』
「そいつも殺った。怪我は大したこたァねえ」
『今いる場所は安全なのか』

 おそらくな、と答え、プロシュートは現状を手短に説明する。しばらくの間沈黙が続き、強い口調でリゾットが告げた。

『それなら治療に専念しろ。定期連絡は怠るな』

 一方的に通話は切れた。プロシュートは携帯電話を放り投げてベッドサイドに腰かける。サイドテーブルにあったグラスの水を煽り、乱れた髪に手を差し入れて乱暴に掻きあげた。





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