だれかがだれかの優しい場所01



「アルメーノ通りに付き合って」

 会うなりはそう言った。
 ギアッチョは何も考えずに「ああいいぜ」と返す。この時期にその名を聞いてすぐにピンとこない辺り、彼はとても疲れていた。


 この一ヶ月の任務でトリノ、モデナ、カターニアに赴いた。まさに本土横断だ。ようやく訪れた休日、丸一日でも眠ってやろうと考えていたらアパルトメントの前で道路工事が始まった。彼は作業員を片っ端から殴って工事を中断させ、やっと眠れるとベッドに倒れ込んだ矢先、今度は携帯が鳴る。彼は怒鳴り散らし、携帯電話を叩き割ろうとするが、そこに表示された名前を目にして怒りは尻すぼみに消える。

 もう一か月近く会っていない彼の恋人からだった。ひと眠りしたあとでこちらから連絡するつもりだった。
 ギアッチョは一瞬ためらうが、恋しさが勝って受信ボタンを押す。心のどこかには睡眠を優先したい気持ちもあったが、声を聴いてしまったらもうベッドに戻る気にはなれず、彼はダウンとマフラーを引っ掴んで部屋を出た。
 で、冒頭に戻る。

 アルメーノ通りは旧市街にある、全長100メートルほどの車も通れないような狭い通りだ。
 普段はさほど混雑しない通りだが、今は足元の石畳も見えないほど人でごった返している。ギアッチョは目眩がした。

「行くよギアッチョ!」

 明らかに萎えている彼の様子には気づかず、はギアッチョの手を引いて大股で歩き出す。
 プレゼーピオか、と彼は舌打ちした。そう言えばもうそんな時期だ。

「ふざけてんのかこの人は、クソッ」
「もー、しょうがないでしょ。あっ、あの店入っていい?」

 はギアッチョの返事を待たず、人垣を掻き分けて一軒の店にたどり着いた。
 店内には小さな模型が所狭しと陳列されている。単体の人形を始め、パン屋や肉屋といった背景とセットになったもの、馬や羊などの動物、馬小屋や水車といった建物や街並みなどもある。
 中には電動タイプもあって、ひたすらアイロンをかけるだけの母親やピッツァを焼く職人もいる。これらは全てプレゼーピオの飾りつけ用の模型だ。

 プレゼーピオとは古くからあるナターレの風物詩で、キリストが生まれた場面を模すジオラマのような物だ。
 11月の終わり頃から教会や主要駅、個人の自宅などで飾りつけられる。
 アルメーノ通りはプレゼーピオの専門店が軒を連ねる通りで、この時期はまともに歩けたものではなかった。

「今年はさ、お父さんがはりきっちゃって庭一面に作ってるの」

 が腰を屈め、人形を物色しながら言う。真剣な目つきだ。

「庭全部っつったらけっこうでけえな」
「そうなの。ちょっと足りないから何か買ってこいって言われちゃってね」

 聖母を二体と大工の人形を一体手に取ると、彼女は次に街並みを選び始める。の家は毎年この時期になると家族全員でプレゼーピオを作るのが習慣だった。

 幼い子供を連れた家族、老夫婦、若い女のグループ、普段はイベントごとに縁遠そうな壮年の男、誰も彼もが楽し気に店内を見てまわっている。
 くだらねえ、暇人ばっかかよ。彼は内心で毒づいた。

 たっぷり半時ほどもかけて、は紙袋一杯の飾りを購入した。
 苛立ちながら戸口で待っていたギアッチョは、彼女と合流すると疲れた声で言う。

「ちょっと休もうぜ、なんか飲むだろ?」
「え?待ってよ、もうちょっと他の店も見たいの」
「はァ?もういっぱい買っただろーがッ」
「うーん、でも……あっちの店もちょっとだけいい?」

 が指差したのは向かいの店だった。その店と、たった今出た店の店構えはほぼ同じで、規模も並ぶ模型も大差なかった。

「あっちも似たようなモンだろォ~」

 うんざりした口調でギアッチョが言うと、はきっと睨みつけてくる。

「何よ、ちょっとくらいいいじゃない……。だいたい久しぶりに会ったのにどうしてそんな態度なの!」

 語気が強くなるにつれ、周囲の視線がちらちらと集まる。カッと頭に血が上ったギアッチョはの腕を乱暴につかむと歩き出した。
 アルメーノ通りを通り抜け、ようやく自由に歩けるようになるとは腕を振り払った。眉尻を下げ、悲しそうな顔をする。

「もうちょっと……楽しそうにしてくれてもいいんじゃない?」
「あァ?こっちは疲れてんだッ!暇人共のイベントなんぞ付き合ってられっかよッ!」
「暇人じゃあないわよ!皆時間をつくって一生懸命してるの!」
「それがくだらねえっつってんだッ!!」

 ギャングには復活祭もヴァカンスシーズンもナターレも関係ない。全て納得の上だが、溜まった疲労のせいでいつも以上に沸点が低く、お祭りムードもの言葉にも全てにムカついた。
 とギアッチョは幼馴染で、中学の頃に彼女の家が越したため一度交流は途絶えたが、長い空白期間ののち、二人は偶然の再会を果たして恋仲になった。
 すでにお互いの性格は熟知しているが、それでもギアッチョは未だに「ギャング」という自分の職業を告げられないでいる。

 これがただの八つ当たりだという自覚はある。現に彼はすでに後悔していたが、はうつむき、唇をぎゅっと噛んでいた。

「ギアッチョが興味ないのは構わないけど、みんなが楽しんでることを侮辱するのは許せない」
「……あのよォ、
「今日は帰る」

 は吐き捨てるように言うと背を向けて歩き出す。
 彼は小さくなる背中をぼんやりと見送った。右側のこめかみがずきずきと痛んでいた。

 せめて一眠りしてから会えば良かった。そうすりゃあもうちょいマシな態度がとれたのに。そうは思うが後を追う気力はなく、ギアッチョは反対方向へと歩き出す。とにかくさっさとベッドに倒れ込みたかった。

 彼の家ではプレゼーピオなんて作ったことがなかった。
 パネットーネや七面鳥が並んだこともなければ家族で笑った記憶もない。
 根本的なところで彼とには大きな隔たりがあった。


 自宅に戻ったギアッチョはそのままベッドへ直行し、目覚めたのは翌日の正午過ぎだった。
 頭痛もすっかり治まり、起き抜けに濃いめのエスプレッソを飲もうとキッチンに向かうと、テーブルの上で携帯電話が点滅していることに気づく。

 咄嗟に浮かんだのはの顔だった。
 しかし着信履歴を確認すると相手は別の人物で、折り返すと三コールほどでつながった。

『ギアッチョか。お前に頼みたい任務がある』
「人使いがよォーー、荒すぎねえかァリゾット」
『すまんな。だがおまえが適任なんでな』

 一時間後にアジトで落ち合う段取りをつけて通話を終える。
 ギアッチョは二人掛け用のダイニングテーブルにもたれ、大きな溜息を吐いた。ふと目を向けた先にある、閉め切ったカーテンがやけに薄汚れて見えた。いい加減洗わねーとな、と彼は考えるがどうせ来年に持ち越しだ。



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