だれかがだれかの優しい場所02



「今終わったぜ、リゾット」
『ご苦労だったな』

 ギアッチョが暗殺完了の連絡をするとリゾットは労いの言葉をかけた。

『だが、少し時間がかかり過ぎている。手強い相手だったか』
「そうじゃあねーがよォ、他人に化けるスタンドでちとやっかいだったぜ」

 手当たり次第に殺すわけにもいかず、見極めるのに時間がかかった。しかしそれ以外は能のないスタンドで、拍子抜けするほど呆気ない最期だった。

「氷付けにしてリグーリア海に埋めてやったぜ」とギアッチョが軽口を叩くと、リゾットは一拍置いて「今どこにいる」と訊ねてくる。

「フィレンツェの田舎町」
『そうか』
「なあリゾット、へんなことを訊いてもいいか?」
『なんだ』
「あんたは家族でプレゼーピオを作ったことがあるか?」

 返事はなく、電話口で息をつく気配が感じられた。

『そうか……明日はナターレか』

 リゾットが独り言のようにつぶやく。続きの言葉はなく、ギアッチョも口を閉ざした。
 短い通話を終えると、彼は盗んだ車を走らせてフィレンツェ駅まで向かった。すでに終電は出たあとで、今夜はこのまま車中泊をして、翌朝の始発でネアポリスへ戻ることにした。


 午前5時20分発のユーロスターに乗り込み、四時間弱かけてネアポリス中央駅へと到着した。細切れの睡眠だったが眠気は取れており、調子は悪くはなかった。

 この時期の恒例で、駅前広場はプレゼーピオで飾り付けられ、広場全体がジオラマと化していた。
 二分の一サイズの馬小屋の模型、その周囲を流れる小川には実際に水が流れている。小高い山や精巧な街並みと、昔からよく見た光景だ。
 それらを眺める家族連れや観光客も多い。夜にはライトアップされ、更に賑わうことだろう。今夜ばかりはこの街は眠らない街になる。

 ギアッチョはマフラーで口元まで覆い、ダウンのポケットに両手を突っ込んでやや足早に歩いた。

 この国ではナターレは家族と過ごすことが多い。も今頃はチェーナ(夕食)の準備の手伝いでもしている頃だろう。
 指先に触れる携帯電話。彼はもう何度もに連絡を取ろうとしたが、発信ボタンは結局一度も押せなかった。

 バスターミナルを通り過ぎ、入り組んだ路地を歩き、途中あったスーパーで簡単な食材を調達して自宅へと向かった。
 そこは旧市街にある古いアパルトメントで、一階はガレージで、二階以上が住居部となっている。外壁は剥がれ、どの窓にも乱雑に洗濯物がはためいている。

 ギアッチョはポケットから鍵を取り出し、エントランスまで歩く。そこで背後から呼び止められた。

 振り向くとそこにが立っていた。
 彼女はややきまり悪そうに近づいてくると、ギアッチョの前で足を止める。

……オメー、本物か?」

 ギアッチョが思わず訊ねると、は瞬きをして、首をちょっと傾げた。

「どういう意味?」
「いや、何でもねえ」

 つい半日前まで他人に成り済ますタイプのスタンド使いと戦っていたせいか慎重になった。
 ここはフィレンツェから400キロ以上離れたネアポリスで、そもそもそのスタンド使いはすでに死んでいる。

 ギアッチョが立ち尽くしているとはコートのポケットから何かを取り出した。

「ギアッチョに、あげる」

 それは手の平サイズの小さなプレゼーピオだった。
 座り込んだ馬とその手前に聖母、台座の上には羽の生えた天使もいる。天使は宙を飛んでいるように見えた。

「いらねーよ!……とかナシね、つくったんだから」
「オレに、か?」
「本当はさ、一緒に作ろうって言うつもりだったの。でもあの日ケンカしちゃったから」
「……」
「これ、もらってくれる?」

 寒さで頬と鼻先を淡く染め、所在なさげに立っている。

 はいつも真っ直ぐな愛情を向けてくる。それは愛されて育った人間特有のもので、ギアッチョには時々それがひどく眩しく思えた。
 生きているのか死んでいるのかすらわからない両親。愛情をかけられた記憶もない。ギアッチョにはナターレの夜を過ごす家族などいなかった。
 以前、そのことをぽろっと漏らしたことがある。はただ黙って彼に寄り添ってくれた。

 ギアッチョが押し黙っていると、は一歩前に出て、不安げな顔で覗きこんでくる。

「やっぱりいらない……?」

 彼は差し出された腕ごとを抱き寄せた。彼女は驚いて離れようとするが、ギアッチョはまわした腕に力をこめる。道を行き交う人々は誰も目を向けない。それでもは落ち着かない様子だった。

「どうしたの?外で珍しいね」

 はささやき声で言った。
 彼女の全身はすっかり冷え切っていた。そっと握った指先も温度が感じられない。合いカギを渡してないことを彼は心底悔やんだが、それは敢えてだった。自分の不在時に、なんらかのトラブルに巻き込まれることを危惧してのことだった。

「すまねえ、
「えっ、なに?どうしたの?」
「待ってたんだろ、ずっとよォ」
「うん、待ってた。電話しようかとも思ったんだけど、ギアッチョ忙しそうだし、仕事の邪魔かなーって思って」

 会えて良かった、と彼女は口元をゆるめる。ギアッチョは胸の内側からあふれ出しそうな愛おしさをどう伝えれば良いのかわからなかった。

「時間はあんのかよ」
「うん、夕方くらいまでなら」

 お互いの息が白く混ざり合う。
 ギアッチョはの手を引いてエントランスに向かうと、オートロックを解除して廊下を抜け、エレベータで三階の自室へと急いだ。

 部屋に入り、室内履きに履き替えようとしていたをギアッチョが背後から抱きすくめる。
 彼女のコートを脱がして足元に落とすと、ウールのワンピースをたくし上げて手を差し入れた。

「……ここ、廊下よ」
「いいだろ、別に」
「したいの?じゃ、ベッド行こうよ」
「我慢できねえ」

 彼はやや早急なキスをした。二人が吐き出す息のせいでメガネのレンズが曇っていく。
 そこから先はもう、会話もなく、ほとんど一心不乱につながった。


「ギアッチョ、鳴ってる」

 行為を終え、着衣の乱れを直していたは、無造作に放り投げられていたギアッチョのダウンから、振動する携帯電話を取り出した。

「メローネさんだ、出ていい?」
「オイ、何勝手に「プロント、メローネさん」」

 電話口の相手は一瞬の間を置いてから言った。

『その声はか?もしかしてお邪魔だったのか、情事の最中だったのなら言ってくれ』
「大丈夫よ、今終わったと「おい!切れ、今すぐ切れッ!」」
「えー……」

 ギアッチョはの手から携帯電話を奪い取ると、彼女から距離を取って耳元にあてる。

「……何の用だ」
『ギアッチョか?今プロシュートたちと飲んでるんだ』
「あァ?ナターレに男同士で飲みかよ」
『いつものバルにいる。あんたも来いよ。なんならも一緒でも構わないぜ』
「冗談じゃあねえ……あいつらに会わせられっかよ」
『オレには紹介してくれたのにな』
「してねえ!偶然会っただけだろうがッ!」

 通話を終えるまでの間、はギアッチョの様子をじっと見ていた。額に青筋をたて、怒鳴り口調ではあるが、不思議と嫌そうには見えなかった。

「なーに見てんだよ」

 はぱっと微笑んだ。花が咲いたような笑みだった。

「いるじゃない、ギアッチョの家族」




───数時間後、某バルにて

「よォ、暇人どもが」
「ギアッチョ!に振られたのか?」

 ギアッチョの姿を見るなりメローネが椅子から立ち上がった。その向こうではプロシュートがペッシになにやら説教をしている。ホルマジオはすっかり酔いつぶれて椅子を三つ占領して泥酔中。ソルベとジェラートはカウンターの中でワインを選んでいる。
 店内はがらんとして他に客の姿はなく、店主さえもいなかった。

「イルーゾォとリゾットは?」
「イルーゾォは姉ちゃん夫婦に呼び出されたってグチってたぜ。リゾットは連絡取れないんだ」
「ふーん」
「何か飲むか?勝手にやってイイことになってるんだ」
「ん?ああ、ならオレもワイン」
「パンドーロもあるぜ?」
「いらねェー、ちなみに振られてねーからなッ!は家族でチェーナだ」
「なあ、それどうしたんだ?ギアッチョ」

 ギアッチョがテーブルの隅に置いた小さなプレゼーピオを見て、メローネが興味深そうにつぶやいた。

「見りゃわかんだろ、プレゼーピオだ」
「そりゃわかるさ。あんたが持ってるのが意外だったんだ。ギアッチョもけっこう可愛いとこがあるんだな」
「あァア!?」
「おいそこ煩せえぞォオオ!!」



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