おまけのその後

ボスと笑わない秘書【番外編】02



「お待たせしました」

 と言って執務室に現れたジョルノは普段のスーツよりもややフォーマルな三つ揃えスーツを着ている。
 襟元は華やかな印象のあるウイングカラーで、ネクタイではなくスカーフを覗かせている。

「とても素敵です、ボス」

 その社交辞令っぽい褒め方に苦笑しつつ、ジョルノはに「グラッツェ」と返した。
 恋人となった今も二人の関係は基本的には変わっていない。職場では上司と部下で、その線引きはきっちりとしている。

「元々オペラには厳密なドレスコードはないらしいですね」

 ジョルノの問いかけには相槌を打ちつつ近づいて来た。
「失礼します」と断ってから彼の胸元のポケットチーフを整える。
 今夜は同盟組織のボスとの会食があり、観劇をする予定になっている。彼女にも同席を勧めたが、はあくまで裏方に徹するためその誘いを断った。
 今日も彼女はいつものブラックスーツを着ている。
 ジョルノのポケットチーフを整え終えると、は満足げに口元をカーブさせた。微笑んでいるのかいないのか微妙なラインだが、彼女は以前よりもずっと表情豊かになった。

「ぼくは、オペラと言えばタキシードを着たりドレスアップするのがフツウなんだと思っていたんです」
「プレミエ公演ですと正装が多いですが、普段はもっと自由です。パルコの後席やガッレリアではわりとカジュアルな方もいます」
さんは、オペラにはよく行くんですか」
「昔は祖父に連れられて行きましたが、大人になってからは一度も」
「ぼくは、この世界に入るまでは一度も触れたことがなかった。両親は教養を深めるようなタイプじゃあなかった」

 はうなずいた。
 ジョルノ・ジョバァーナは四歳のときに母親の再婚でイタリアに移り住んでいる。両親は今もこのネアポリスにいるが、現在は疎遠で、ジョルノがこの街を仕切るギャングのボスだということも知らない。
 その話を打ち明けたとき、は目に見えてショックを受けていた。そして、ただ黙ってジョルノを胸に抱いた。言葉はなくても心で通じ合っていた。

「今夜の予定ですが、アゴスティ氏とは劇場で直接お会いします。開演が二十時ですので、七時半には事務所を出立します。公演後は二十三時から会食となります。お店は貸し切りとなっています」

 ジョルノは苦笑いを返した。

「長い夜になりそうだな」


 今夜の会食の相手、チーロ・アゴスティはカラブリア州に拠点を置くパガーノファミリーのボスだ。構成員はパッショーネの約半数だが、彼らは排他的かつ強力な団結力を持つ集団で、これまでの長い歴史の中で、決して他ファミリーと馴れ合うことはなかった。しかし、ジョルノがボスに就任した年、タイミングを同じくして彼らのボスも代替わりした。組織が刷新される中で、ジョルノは彼らに新たな風を吹き込んだ。対話と歩み寄りを繰り返した末、同盟を組むことに成功した。
 成功の秘訣は、ジョルノ・ジョバァーナの天賦の才も大いに関係するが、地道な努力を怠らない彼の姿勢にもあった。

「ネモリーノの配役が素晴らしいですね。特に、終盤に彼が歌い上げる情感たっぷりのアリアには深く感動しました」
「ああ、あれは実に素晴らしかった。今回から配役を変えたのは劇団側の英断だな」
「恋人役のアディーナとの息もぴったりでしたね。彼らは以前、「セビリアの理髪師」でも共演していますしね」

 ジョルノは仕事上顔を合わせる人間の顔を決して忘れず、そのバッググラウンドまで常に把握している。生い立ちや経歴、趣味や好物、家族構成など、それらを踏まえて円滑に会話を勧める。ここぞというときに使える隠し玉は多い方がいいのだ。

 結果、彼は周囲から可愛がられた。ジョルノ・ジョバァーナの術中にはまっているとも知らず。
 今夜の会食も滞りなく終わり、二十三時から始まった宴席は日付をまたいで深夜まで及んだ。

 帰り道、「少し寄って行きませんか」と誘われてジョルノはのアパートメントを訪れた。彼女は今もあの古い集合住宅で暮らしている。
 宴席では勧められたワインを一杯口にする程度にとどめただが、自宅に戻るとさっそくワインを開け、甘いジュースで割って即席のワインカクテルを作り、けっこうなハイペースで飲み続けた。
 気を許している間柄だからなのか、酔うのも早い。こうなってはもう、ベッドに誘うのは無理だ。
 今夜は諦めて翌朝改めて誘ってみよう、などと考えながら、ジョルノは上機嫌な恋人を眺めた。

「ボス、隣に座ってもいい?」
「”ボス”は止めてくれませんか?今はプライベートの時間だ」
「わかったわ、ジョルノ」

 と微笑んだは、ソファに腰かけたジョルノの元まで駆け寄ってその胸に飛び込んだ。
 ジョルノも応じて腕をまわす。二人は互いを見つめたまま抱き合って、もつれあって、何度も口づけを交わした。
 情熱的なキスを続けていると、ジョルノは下腹部が熱くなっていくのを感じた。劣情が沸き起こる。それはまだ十代の彼にとってはごく普通の生理現象だ。
 無防備な部屋着姿のを抱き上げ、上に座らせてその瞳を覗き込む。

「……さん、すまないが、ちょっと我慢できそうにないんだ」

 言い終わると同時にジョルノは”攻撃”を受けた。
 がまるで目つぶしでもするように、伸ばした人差し指をジョルノの前髪のカールした部分に突っ込んだ。
 彼女は真剣な眼差しでそれを引き抜くと、もう一度ズボッと突っ込む。それを何度か繰り返し、ついには声を上げて笑った。

「どうしてあなたの前髪ってこんなにキュートなの!実は初めて会ったときから思ってたのッ」

 笑い転げるをジョルノは静かに見つめた。
 部屋で飲むと彼女はいつもこんなふうだ。は確かに笑い上戸であった。





*おわり*
最後までありがとうございました!

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