―出会い―
母は売春婦、父は薬の売人だった。私の住むイースト・ハレムにはあらゆる犯罪が横行している。
ケンカの仲裁には入るな。犯罪は見ないふり。それが暗黙のルールで、あの日の自分はどうかしていたとしか思えない。
この辺りでは見かけない、金色の髪とエメラルドの瞳が物珍しかったというのもたぶんある。
殴られても蹴られてもその瞳は凛と涼しげで、ならずものばかりがあつまるハレムでその少年はあまりに異質だった。
まず主犯格の男の頭部を撃ち抜いた。続けてもう一人、もう一人、と反撃の隙を与えず殺す。よくテレビなんかで撃つぞ、と脅すシーンがあるけれど、そんなことをすれば相手に時間を与えてしまう。ガンマンでもないただの女が二人以上を相手にする場合、警告も交渉もなしに可及的速やかに撃つしかない。
「おいで」
声をかけると血まみれの少年はそれでも気丈に立ち上がり、私の後について来た。オートロックを解除して、すでに半世紀以上は建ち続けるアパートに招き入れる。この辺りのアパートは廃墟みたいなオンボロでもロックだけは厳重だ。
「言っとくけど、手当てなんてしてあげられないよ」
タオルと昔の男が残していった服を投げると彼は上手にキャッチした。
「大丈夫だよ。見た目ほど大した怪我じゃないんだ」
「あんた、いくつ?」
「13」
「ふうん」
切れかけた電球の下で改めて見た少年は、とても整った容姿をしていた。他人に媚びるところがなく、もしかしたら私が助けるまでもなく彼は生き延びていたのかもしれない。
「お姉さん、なんで俺を助けてくれたの?お人よしなの?」
少年は私が投げたタオルで全身を拭き、大きすぎる服を素直に身につけている。
テーブルの上に投げていた拳銃を取り上げて、グリップの中から弾倉を引き抜いた。それを彼に見せる。
「あれ、もう弾ないんだ」
「そ、残りの弾数は三発だったの。あいつらも三人だった。四人いたら見捨ててた」
「わかり易くていいね、そういうの」
食器棚の引き出しから予備のマガジンを取り出して装着する。これを使い切る日もそう遠くはない。
「それ、なんて銃?」
「ミルトン・ジェンガーM92」
「どうやって撃つの?」
「この銃鉄を移動させてトリガーを引くだけ、欲しければそこらで千ジェニーで売ってるわ」
冷蔵庫からミルクのパックを取り出してグラスに二杯注ぐ。
築年数はかなりのものだけど部屋は広く併設されたキッチンも悪くない。この辺りに住む唯一の利点はわりと良い部屋が格安で住めることだ。
最近では比較的安全なウエスト・ハレムやセントラル・ハレムには学生やビジネスマンの姿も増えた。
「ミルクしかないけど」
ゴミ捨て場から拾って来たこげ茶色の丸テーブルにグラスを二つ置く。少年はにっこりと微笑んだ。
「ありがとう。だけどその前に有り金全部出してよ」
すでに銃鉄は引かれ、少年の指はトリガーにかかっている。なんて失態だ。
「バッグにサイフが入ってるわ、一万ジェニーくらいしかないけどね」
「お姉さん、やっぱりお人よしだね」
少年は私のバッグを漁り、サイフから札だけを抜き取ると枚数を数え始めた。そこから千ジェニー札を二枚戻す。
「一万ニ千ジェニーあったから、一万ジェニーだけもらっていくね」
言って、彼は玄関から走り出た。
テーブルに手をついてため息を吐く。二杯のミルクを飲み干して、残ったニ千ジェニーで新しい銃を買わなきゃな、とぼんやりと考えた。
―再会―
毎日どこかで人が死に、動物が死に、残飯が腐るハレムは常に腐臭が漂っている。季節の中で夏が一番嫌いなのは必然だ。部屋のエアコンは今時据え置き型で、騒音が酷くさらには冷えないという三重苦。だけどあるだけマシだと同僚に言われた。その通りだと思う。
カーテンを突き抜ける灼熱の日差しに耐えかねて目を覚ますと室内に人影があった。咄嗟に枕もとの拳銃に手を伸ばす。
「待って、撃たないでよお姉さん」
「……あんた」
狙いは定めたまま、肩を竦める少年を睨む。まだぎりぎり少年の範疇に入る成長した姿がそこにあった。
「良かった、俺のこと覚えてるんだね」
「どうやって入ったの?」
「ドアの二重ロック甘いよ。オートロックも意味ないし」
俺盗賊なんだ、と少年は笑った。こんな状況で何だけどすれてない純粋な笑顔だと思った。
「それで、盗賊サンがうちに何の用?生憎大したものはないよ」
「うん、これ返そうと思って」
彼は拳銃と一万ジェニー札をそっとテーブルに乗せた。警戒心はとっくに消えていて、銃口を下ろす。あの日と変わらないエメラルドの瞳が私の手元をちらと見た。
「お姉さんジェンガー好きなんだね、それも92でしょ?」
「シングルアクションが好きなの。軽いしブレが少ないから私でもわりと正確に撃てるし」
「謙遜?お姉さんの腕なかなかだったよ」
室内は暑くただ喋っているだけで汗が吹き出る。カーテンは開けずにエアコンをつけた。送風音がごうごうと鳴る。
テーブルの上に置かれた懐かしのジェンガーを手に取って、ついでに折り目のない真新しい札を見る。
「お金はいいわ、あの時のじゃないもの」
「そう言わずに受け取ってよ、なんなら利子でもつけようか?」
「ずいぶん羽振りが良くなったのね、あんた」
「シャルナーク、シャルって呼んで」
盗賊のくせにすんなり名乗った少年は、勝手に椅子を引いて座った。その椅子も廃品で座るとがたつく。
「お姉さんの名前も教えてよ」
「言う必要はないわ」
「ふーん、まあいいや。暑いし何か飲み物くれないかな」
「ミルクしかないよ」
「あの時もミルクをくれたよね、飲まなかったけどさ」
冷蔵庫から取り出したミルクパックを傾けてグラスに注ぐ。その間中背中に視線を感じていた。エアコンをつけても部屋は一向に冷えず、キャミソールの下を汗が伝う。
シャルナークはミルクを飲み干すとじゃあね、と言って部屋を後にした。
それ以来彼は何ヶ月かに一度の頻度で現れるようになった。手ぶらだったりお土産付きだったり、血の臭いだったりを引き連れて。
―お誕生日会―
「はいこれお土産」
久しぶりにやって来たシャルナークは紙袋を二つ手渡してきた。袋も中に入っていた四角い箱も、更にはその中に納まっていたホールケーキも全く同じものだった。
「まさか、これ一つずつ食べようってこと?」
「そうだけど」
私が唖然としていると 、シャルナークは照れながら「今日俺の誕生日なんだ」と言った。
「それは、おめでとう。で、もう一つの方は?」
「お姉さんの分、誕生日知らないから一緒に祝っちゃおうと思ってさ」
彼は私を「お姉さん」と呼ぶ。名乗るタイミングを完全に逃していたけど特に不便もなかった。
「ありがとう。紅茶でも淹れるわ」
「ミルク以外もあるんだね」
「ちょうどもらい物があるの」
食器棚からまだ開封もしていない紅茶の箱を取り出す。有名な陶磁器メーカーが出しているブランドで、とても上品なパッケージだ。中には円柱型の缶が二つ入っている。そこで固まった。
「どうしたの?」
背後に立つシャルナークが覗き込んで来る。
もらいものの紅茶はティーパックではなく茶葉だった。
「ティーポットってないの?」
「ない」
「茶漉しは?」
「ない」
「そっか、じゃあ無理だね」
「今度インスタントコーヒーでも買っておくわ」
最近買い換えたテーブルに向かい合って座り、生クリームと苺のホールケーキを食べた。ケーキは四分の一ほどで諦めて、その日は一日胃凭れに悩まされた。
―ニアミス―
たまにはニアミスもある。シャルナークはいつも事前連絡なしで現れるからだ。
「悪いけど、今日は入れられないわ」
「彼氏でも来てるの?」
「まあね」
ぴんと張ったドアチェーンの向こうで、シャルナークが苦笑する。今日のシャルナークはタキシードにクロスタイで夜会にでも出席するような装いだ。
「それじゃ」
「うん、またねお姉さん」
扉を閉めて二箇所についたサムターンを捻る。
背後に気配を感じて振り向くと、怒りで顔を歪めたエリックの姿があった。普段は気のいい男なのだけど、嫉妬深い。
「……今のは誰だ」
「エリック、何でもないのよ」
「答えろ!」
いつもは頼もしい大きな手が私の首にかかり、ぎりぎりと締め付けてきた。私とシャルナークの関係を言葉で説明するのはとても難しい。それにたとえ事実を話したところでこの男は私を殴るのだ。
案の定、首の圧迫が消えた次の瞬間には拳で殴られた。口内に血の味が広がる。
立ち上がったところでもう一発食らい、そのまま玄関先で押し倒された。下着を乱暴に下ろされて、まだ濡れてもいないそこに硬いものが押しつけられる。
そこで轟音がした。スチール製の玄関扉が蹴破られ、長身のエリックの身体がごろりと転がる。首の骨が折れているらしく、顔があらぬ方向を向いていた。
「ごめんお姉さん、彼氏殺っちゃった」
全てが一瞬のことで、目まぐるしく変わるシーンに追いつけない。
シャルナークの平坦な声と目の前の状況がなかなか合致せず、私は曖昧にうなずくしかできなかった。
蹴破られた扉は人為的なものとは思えないほどへこみ、チェーンロックは根元から引き千切れている。仮にも彼氏が殺されたというのに、怒りはまったく湧いてこなかった。
「よ」
「へ?」
「私の名前、っていうの」
シャルナークは私の傍らで膝をつき、そっと頬に触れてきた。ちり、と痛む。いったいどうやれば扉があれほどへこむのか。盗賊って拳法でも習ってるのかしら。
「男の趣味悪いよ、」
「よく言われる」
笑うでも呆れるでもなく、シャルナークが真っ直ぐに見据えてくる。先に視線を逸らしたのは私だ。
あの扉、修理にどれくらいの時間がかかるのだろう。ああそれよりもまず彼の死体を捨てないと。幸いこのイースト・ハレムは犯罪者には寛容な街なのだ。
―気持ちがあふれてしまう夜―
しんしんと降りしきる雪の音に耳を傾けたくなるような、とても静かな夜だった。常にどこかで鳴り響くサイレン音もなぜかぴたりと止み、薄汚い街並みが白く染まる。
「はさ、この街を出ようと思ったことはないの?」
ミルクたっぷりのカフェオレを息で冷ましながら、シャルナークが言った。久しぶりに会った彼は一段と男らしく成長していた。
「ないわ。生まれ育った故郷でもあるし、私はここが性に合ってるの」
「そうかな、それって外を知らないだけなんじゃないかな」
「そうかもしれない」
ここよりも住み易い場所はたくさんあるはずだ。そもそもここよりも悪辣な環境を探す方が難しい。
オイルヒーターのおかげで室内はじんわりと温かく、カーテンをあけたままの窓から見える雪景色が別世界のようだ。
まだ湯気のたつカップに口をつける。喉を熱い液体が通過した。
「そう言えば、シャルの出身地ってどこなの?」
「俺?流星街だよ」
聞き返すまでにたっぷりの時間を要したのは、シャルナークの口調が内容に伴わず軽やかだったからだ。
「……流星街って、あの?」
「そ、あの」
「ふうん」
「俺はね、流星街しか知らなかったんだ。あそこが世界の全てだった」
カップを持つ手はちゃんと男性の手だ。骨ばって、長い指。自分の手を見るとマニキュアが剥がれかかっていた。
隠すように頬杖をついて、もう一方の手を膝に乗せる。テレビのリモコンを目で探した。
「外の世界が見たくなって、仲間と出たんだ。と会ったのは実はまだ出てすぐの頃でさ」
「へえ」
「ハレムが危険なエリアだって知らなかったんだ。だけど良かった、君と会えた」
「私も良かったわ、あんた可愛いもの」
カップを持って席を立った。妙な静けさが居心地悪く、テレビをつけようとリモコンに手を伸ばした。が、寸前で手首をつかまれる。宝石のような瞳に私が映り込んだ。
「、俺と一緒に来ない?」
「何言ってるの、シャル」
「俺……のことが」
「触らないで」
腕を振り払った勢いでカップが手から落ちた。陶器が音を立てて砕け、まだ半分以上残っていたカフェオレが床を汚す。
片付けようと膝をついたところでぶつかるようなキスをされた。背中をフローリングに打ち付けて、だけど意識は重なる舌に奪われる。
シャルナークのキスは、13歳の彼の面影を完全に消し去るような激しくあまやかなものだった。
何も考えられず、はしたなく下着が濡れるのを感じながらただ与えられる官能に夢中になって、何度も何度も舌を絡める。このままずっとキスしていたい、溺れていたい。それを最後の理性で振り切って、彼の顔を引き離した。
少し驚いたような、どこかかなしそうな瞳でシャルナークが私を見つめる。
「……ごめん、だけど俺ほんとに」
「帰って、もう、二度と来ないで」
雨音のように雪にもきっと音がある。この胸のざわめきをどうか消して欲しいと願った。
―11分間―
イースト・ハレムを出ることは私には出来ない。その代わり10年以上住み慣れたアパートを越した。間取りも階数もほぼ同じ、ベランダが狭い分バスルームが広い。エアコンが据え置き型から壁掛け型になったのは良かった。
最近はじめたボランティアのせいで日々忙しく、路上生活者に配給する煮炊きで朝から夕方までが慌しく過ぎた。
もしかしたら失踪した父親が現れるかもしれない、と思ってはじめたボランティアだけど、誰も自分を知らない環境で他愛のない会話をするのは気が楽だった。
日暮れ前にアパートに戻り、シャワーを浴びてメイクをする。敢えて安っぽい香水をつけるのは昔からだ。
ヒールの高いパンプスを履いて勤務先であるクラブに向かう。広いフロアには中央に舞台があり、昔はそこでヌードダンサーが踊っていたようだ。今はそんなサービスはない。
所狭しと並んだボックス席で客に酒を振舞い、客は気に入った女の子を指名してホテルに消える。店は客からも女の子からもマージンを取る。
セックスは所詮11分間の出来事だと言った作家がいた。私もその通りだと思う。愛を囁き服を脱ぎ、そういった時間を除いた正味の時間は11分間。私はこの11分間を売って生きている。
「いらっしゃいませ」
「やあ、今日も綺麗だね」
ウイスキーの水割りを作る。この店はバーではないので酒は安価なウイスキーしか置いてない。ビールもブランデーもワインもない。おざなりな会話をした後にホテルに行くだけの店だ。
二杯目の水割りを作り、頃合を見ていると店内がにわかにざわついた。何事だろうかと顔を向けて、マドラーを落としそうになる。
「ここ、って子いるよね?俺その子がいいんだけど」
「生憎は他の席についております。一時間ほど待って頂けたら空くと思いますが」
「いくら払えば先にしてもらえるの?」
みぞおちに重い一発を食らったような衝撃があった。
ふいに目が合って、慌ててソファの背もたれに隠れる。口元を両手で覆った。たったっと靴音が駆け寄って来る。
「そこどいてよ、おじさん」
「最近の若いのは順番も待てんのか」
「これでいい?足りなかったらもっと払うけど?」
「シャル……やめて」
常連客が立ち上がり、シャルナークの手から札束を引っ手繰って立ち去る。
うつむいているとシートの隣が沈んだ。
「俺にもお酒注いでよ、」
「どういうつもりなの」
「どうって、ここは女の子を買う店なんだろ?だから俺は君を買いに来たんだ」
「……つまり、知っていたのね」
ボーイが新しいグラスと氷を持って現れる。震える手で水割りを作った。
「今回の引越し先を調べる時に偶然知ったんだ。ずっと知ってたわけじゃない」
「そう」
「やっぱりお酒はいい」
「え?」
腕を引かれて席を立つ。その力が強くて驚いた。
「お客様、どちらに」
「一泊分の料金っていくら?これで足りる?」
「え?は、はい、それはもう」
通常支払うマージンの10倍以上の額をシャルナークが渡す。マネージャーは大手を振って見送った。ほとんど引きずられるように店を出て、近くのモーテルに連れ込まれる。
顔見知りの店員が黙って鍵をカウンターに置いた。この辺りのモーテルはたいてい提携店だ。
「シャル……待って、ちょっと」
「嫌なんて言わせないよ?は明日の朝までは俺のものなんだから」
「パンプスが脱げたの」
「へ?」
ストッキングだけになった片足を持ち上げてみせる。足の裏は砂だらけだ。
「どこで脱げたの?」
「お店を出たとき。私何度も待ってって言ったのに」
「そっか、ごめん。でもいいよ、靴くらい俺が買ってあげる」
チープな赤い絨毯の廊下を歩き、目的の部屋番号にたどり着く。入るのを躊躇していると肩を抱かれた。
なんてことはない動作なのに胸が張り裂けそうになる。
「そういう服装もよく似合うね。いつものラフな感じも好きだけどさ」
「待って、シャル……私あんたとは」
「俺はを抱きたい。断る権利はないと思うけど?」
「……シャル」
「ダメ、聞けない」
セックスなんて11分間の出来事だ。いろんな客と寝た。どんな客にでも合わせられる。だけど相手がシャルナークだというだけで足が震える。
「服脱いで、俺の裸が見たい」
シャルナークは一人ベッドに座り、楽しそうにこちらを見ていた。これが客だと割り切れば脱げるし何だってできる。プライドなんてとっくの昔に捨てたし感情を殺して11分間をやりきる術だって身につけている。だけどその切り替えが、どうしてもできない。
「仕方ないなあ、手伝ってあげるよ」
「……どうして、こんなことするの」
「ん?したいから」
「お金は返す、だから、お願い……っ」
目頭が熱くなってじわりと涙が滲む。自分にまだ涙が残っているのだと驚いた。
「なんで泣くんだよ、そんなに俺が嫌?他の男とはやれてなんで俺とは無理なんだよ」
「見せたくないの!あんたに……こんな汚いカラダを見せたくないの」
必死にせき止めていた涙が溢れてどうにもならず、両手で目を覆ってその場にしゃがみ込んだ。ここは何度も客の相手をしたモーテルだ。嫌なことばかりが頭に浮かんで死にたくなる。
「だいたい私あんたよりいくつ上だと思ってんのよ……もう、からかわないで」
日増しに男らしく成長するシャルナークに対し、私は日々醜く衰えていく。時間の流れはどうにもならない。こんな商売じゃなかったら、私がもっと若かったら、何度もそう思った。これ以上の時間を共に過ごすのは耐えられない。
「……なんで、そんなこと気にするかな」
「あんたにはわかんないわよ、離して」
「嫌だ、離さない」
座ったままぎゅっと抱きしめられる。この五年間で私の身体をすっぽり包めるくらいシャルナークは成長した。息遣いも心音も近く、呼吸の仕方を忘れてしまう。
「、父親の借金払うためにあの店で働いてるんだろ」
「それも……知ってるの?」
「俺盗賊だけど専門は情報処理なんだ。借金はもう心配しなくていいから、ほんとは今日……それだけ言って帰るつもりだったんだ」
だけど、とシャルナークが目を伏せる。
「の顔を見たら、どうやってでも欲しくなった」
肩を落として力なく笑う彼を見て、とっくにごまかしきれなくなっていた感情がこみあげてきた。
いまさら自覚するまでもない。私はもうずっとシャルナークが好きだった。
「嫌な思いをさせてごめん、だけど俺本当にが好きなんだ」
「……シャル」
「もっと早く調べれば良かった、そうすればもっと早く助けてあげられたのに」
うつむいたまま首を振る。大人の男の手が私の頭を遠慮がちに撫でた。
「これからは、一生を護りたい。ずっとずっと俺の傍にいて欲しい」
「だけど私、あんたよりずっと年上だし……汚れてるし」
「汚れてるって何?必死で生きてきただけだろ?次言ったら怒るから」
「じゃあ……私を抱いてくれる?」
ドレスの肩紐がずらされて、剥き出しになった肩にシャルナークがキスをする。そんな場所に口付けをした男がいただろうか。背中にまわった腕がゆっくりとファスナーを下ろす。胸の圧迫が消えても緊張できりきりと痛む。だけどそれと同時に抑えきれない興奮と期待に包まれた。
「ずっと触りたかった、に」
「私も……シャルに触りたかった」
「すごく綺麗だよ、」
胸元に沈むシャルナークの後頭部をそっと撫でる。舌が素肌を滑るたびに内側から溶かされていくようだった。耳元で囁く声が神経を麻痺させる。あなたが欲しくて堪らない、と口にしてしまうのにはきっとそう時間はかからない。
―ネバーランド―
吹き込む風が爽やかな午後。ソファでうとうとしていると、パソコンに向かっていたシャルナークがふいに手を止めて言った。
「そう言えばさ、俺をはじめて見たとき、こんなに綺麗な人が世の中にいるんだって驚いたんだ」
揺れるカーテンを横目にまぶたを擦る。スリッパが片方見当たらない。
「よく言う、私から銃と1万ジェニーを奪ったくせに」
「だってあの頃は美人より武器と現金が欲しい年頃だったし?」
「ほんと調子いいわ。でも残念だったわね、私もうだいぶ年食っちゃったわよ」
「は変わらないよ。今だってずっと綺麗だし可愛いよ」
「な、何よ……っ」
「あはは、かわいー照れてる」
一回り近く年下の彼氏にいいように振り回されている。だけど居心地は悪くない。私は拳銃を捨てた。
「仕事大変そうね。コーヒーでも淹れようか?」
「紅茶がいい、ミルク入れて」
「ん」
片足はスリッパを履いてもう一方は裸足でキッチンに向かう。最近覚えた紅茶の淹れ方を実践してみた。冷蔵庫からミルクパックを取り出して、懐かしくて自然と頬が緩む。まだ幼いシャルナークの、生意気だけど可愛いらしい顔を思い出した。
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