MiniatureGardenで会いましょう



 呼び鈴は押さず、ドアノブを捻って玄関扉を押し開ける。鍵がかかっていないのはかける必要がないからだ。
 まず視界に飛び込んでくるのはマーブル模様の巨大な葉。玄関から部屋へと続く廊下はヤツの縄張りだ。
 カラフルな葉で視覚的に獲物をおびき寄せ、粘着性の液体で捕獲する。壷のような形の花弁に引きずり込んで最後は骨まで溶かす食虫植物グラシウス。雑食で虫どころか大型の哺乳類もぺろりと平らげる。もちろん人間など丸飲みだ。

 今も現れたクロロを誘うように巨大な葉をざわつかせ、そのたびほのかに香る蜜の匂いで嗅覚的にも惑わせる。

「俺は獲物じゃない、一週間前にも会っただろ?」
「無駄よクロロ、その子に記憶力はないもの」

 奥から姿を現したがグラシウスの茎を撫でる。すぐに気持ち良さそうに葉を揺らした。凶暴な食虫植物も主人には従順だ。

「出迎えとは嬉しいな」
「あなたにうちの子たちを殺されたくないの。この子の親株を殺したこと私まだ怒ってるんだから」
「あれは不可抗力だろ、だいたいお前だっていつも切り刻んだり擦り潰したりしているじゃないか」
「へんな言い方しないで、私のは調合なんだから」

 むっとするを見てクロロが笑う。彼はコートから小箱を取り出した。

「悪かった。これはお詫びだ」

 が首を傾げ、それを受け取る。蓋を開けて中身を改めたが息を呑み、興奮気味に顔を上げた。

「これ、キジュソウの球根じゃない!もらっていいの?」
「偶然手に入ってな。俺が持っていたところで何の価値もない」
「嬉しい……これで塗り薬が作れるわ」

 喜ぶ様子が可愛らしく、クロロがの頭を撫でるとグラシウスが一際はげしく身を撓らせた。粘着質の分泌液がクロロ目掛けて飛ぶ。それを軽く避けて物言わぬ植物をまじまじと見た。

「この雑草、嫉妬しているのか」
「雑草なんて言ってたらいつまでたっても仲良くなれないわよ」

 ねえグラシウス、とが食虫植物に笑いかける。親しくなりたいのはそっちの草じゃなくお前だ、とクロロは心で思ったが口には出さなかった。

 グラシウスの縄張りを抜けると奥にオフィスのワンフロアほどの広さの部屋がある。やたら狭く見えるのは、部屋中に置かれた植物群のせいだ。観葉植物の域をとっくに超え、ここが植物園だと言われてもうなずける。

 がキッチンで鼻歌を歌いながらお茶の準備をはじめる。火気があるせいかキッチン周りは唯一緑がなかった。

「天然のホシトリグサを乾燥させて粉末状にしたお茶よ」

 ホット用のガラスカップがカウンターに置かれる。クロロはそれを立ったまま飲んだ。
 この部屋にはテーブルやソファといったものがない。テレビもエアコンもなく、あるのは彼女の作業用デスクとベッドだけだ。
 無人となったビルを買い取りその一室をは住居としている。

「あのオレンジ色の葉っぱの子は新入りなの、近づくと面白い擬態をするのよ」
「へえ」
「ねえクロロ、ちょっと近寄ってみて」

 暗に興味がないと示してもはまるで気づかない。クロロは不思議な味のするお茶を飲み干して壁際まで歩いた。
 鉢植えから天井近くまで伸びた肉厚の葉はオレンジ色で、一定の距離まで詰めるとぱっと色が変わる。全体は土色になり、葉の筋だけがけばけばしい色で浮かび上がる。それはうねった蛇のようで、無数の蛇が絡み合う様は見て気持ちの良いものではない。

「ね、おもしろいでしょ?この子はスネイクシーズって言う薬草なの」

 は素手で葉の先一センチを千切ると、手に持っていたカップに入れた。カップの中身は白湯だったらしく、葉からオレンジ色の液体が滲み出ている。それを躊躇することなく口に運んだ。

「これで明日の朝はお肌つるつるよ。それにこれくらいなら三日もすれば元通りになるわ」

 千切った葉の断面にお礼を言いながら撫で、は慈しむように微笑んだ。
 この笑みを見るたびクロロは、彼女が全身全霊で愛するのは植物だけなのだろうなと気づかされる。そこに入り込む隙を見つけるために、こうやって用事を作っては訪れている。キジュソウの球根は探して手に入れたものだ。

「俺がさっき飲んだ茶にはどんな効果があるんだ」
「え?ああ、あれは血がさらさらになるの。ビールばっかりのクロロにはいいでしょ」
「お前こそ草ばかりじゃ倒れるぞ」
「そうね。でもたまにはちゃんとした食事も摂ってるわ」
「そうなのか?」
「ええ、昨日だって友達と食事に行ったし」

 すでに作業用デスクについたは、やり掛けらしいすり鉢に入った小さな実を擂りはじめる。ごりごりという音が断続的に響き、植物たちがそれに合わせて揺れているような錯覚を覚えた。
 実際には半分ほど開いた窓から吹き込む風のせいだ。そう言えばこの部屋にはカーテンもない。
 の作業する手がふいに止まる。クロロの手が彼女の手に重ねられたからだ。

「どうしたの?クロロ」
「食事の相手は男か?」

 クロロの顔つきから穏やかさが消えている。はちょっと驚いた顔を見せたが、静かにかぶりを振った。

「いいえ。女性よ」
「それならいい。だが、お前に普通の人づきあいがあったとは驚きだな」
「どういう意味よ」
「植物にしか興味がない女だと思っていた。それなら今度、俺とも食事に行かないか?」

 は向かい合う男をじっと見上げた。少し考え込んでいる様子だったが、一度伏せた目を上げて言う。

「それなら、私にご馳走させてくれないかな」
「なぜだ」
「だっていつも希少なものを貰ってるし、いつかお礼をしたいって考えていたの」

 デートの誘いがただの食事会に成り下がるのを阻止すべく、クロロは言い返す。

「俺だっていつもビードハックの毒を割安で譲ってもらっている。礼をするなら俺の方だ」

 ビードハックの毒とは0.1mgでクジラすら動けなくする猛毒で、クロロはそれをいつもベンズナイフに塗っている。抽出方法が難しく、熟練の職人ですらあまり扱っていない毒草だ。
 それを購入するためにやって来てクロロはと出会った。

「じゃあお互いがお礼をするって言うのはどうかしら?」

 打開策を見つけたとばかりに得意げに笑う。もちろん彼は不満ではあったが、ただの食事会なら無理やりそれ以上の意味を持たせればいい、とも考えていた。

「わかった、それでいい」
「私明日から一週間出張なの、それ以降ならいつでもいいよ」
「じゃあ今夜だ」
「え?今夜?」
「そうだ、嫌か?」

 逃げようとする手をクロロがさらに強く握り締める。擂り棒がからんと床に落ちた。
 戸惑いと照れが混ざったような瞳で彼女が見上げる。そこに拒絶の色はなかった。自然とクロロの視線にも熱が帯びる。

「今夜……は、準備もあるし」
「夕方迎えに来る。準備はそれまでに出来るだろ」

 疑問系ではなく決定だ。身勝手な態度に苦笑しつつもも最後にはうなずく。
 これは案外いけるんじゃないか?とクロロが考えた時、突然部屋中の葉がさわさわと音を立てた。風はぴたりと止んでいる。それでも葉音は大きくなるばかりだ。

「……どうしたのかしら、風もないのに」
「植物も生き物だ、機嫌の悪い日もあるだろう」
「だけど、へんだわ」

「ごめんクロロ、離して」

 すでにの意識はクロロにはない。仕方なくつかむ力を弱めると彼女はすぐさま全ての鉢植えを見てまわった。
 室内を埋め尽くす植物たちは思惑通り彼女を取り戻し、とたんに借りてきた猫のようになる。

「完全にアウェイだな」
「え?何か言った?クロロ」

 クロロの目には恋敵たちが満足げに笑っているように映った。

 いっそ焼き払ってやろうか。ちらりと思うがほっと胸を撫で下ろすの顔を見ているとそんな気も失せる。排除するのではなく共存していく方法を探した方が賢明だな、と一人ごちた。

 廊下ではグラシウスが分泌液を飛ばさんと待ち構えていることを、クロロはまだ知らない。




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