「ブチャラティ、外に怪しいヤツがいます」

 フーゴが声をひそませて言う。
 たった今出先から戻ったばかりの彼は、首元にゆるく巻いたマフラーをまだ解いてもいない。

「窓の外からずっとこの部屋を覗き見ているんです。ナランチャ、顔を向けるなよッ」

 厳しい声で制されて、ナランチャが慌てて顔を戻す。
 リストランテのいつもの個室で、特に早急な案件もなくゆったりと過ごしているときだった。
 ブチャラティはティーカップを傾け、窓には目を向けずに言う。

「それで、どんな様子だ」
「向かいのタバッキの陰に隠れています。女です」
「女?そりゃあ、警戒に値するのかフーゴ」

 アバッキオが手元の雑誌に目を置いたままで言う。
 分解した部品を一つずつ丁寧に磨いていたミスタも不自然さを気取られないよう装って顔を上げた。

「ただ単によォ、オレに惚れてるベッリーナかもな」と軽口を叩く。
「組織に入団したいのかもしれねえぜ!」と言ったのはナランチャ。
「ブチャラティ、ぼくが行って軽くしめておきますか?ソレが一番早い」最後にフーゴが締めくくる。

「その前にもう少し詳しく教えてくれ。女はどう怪しいんだ」

 フーゴは立ち位置を移動して、ブチャラティと会話を続けながら目線だけを窓外に向ける。

「ニット帽とマフラーで顔はほぼ隠れていますが、長い髪が見えます。背格好から見て女で間違いないでしょう。こちらをジッと見ながら、時々チラチラと周囲をうかがっています」
「それだけじゃあ敵なのかただの善良な市民なのか判断はつかねえぜ」
「待ってくれ、今、何か光るものがッ」
「何だってッ!?」

 いつの間にか組み立てていた拳銃をさっと構えるミスタ。
 視線が集中したせいか、窓の向こうの女は驚いてタバコ屋の影に引っ込んでしまった。
 ブチャラティはちょうど口に含んでいたエスプレッソを吹き出しそうになっていて、手のひらで口元を抑えた。

「……皆、すまない。待ってくれ、敵じゃあない」
「ブチャラティ!逃げちまうぜェー!」
「ナランチャ、スタンドを引っ込めろ。彼女はオレの知り合いなんだ」

 意外な告白に仲間たちはぽかんとする。ブチャラティはそれ以上の説明をせず、個室を出ると駆け出した。

「ブチャラティ、やけに慌てていませんでした?」

 空席になった椅子を見て、フーゴが誰とはなく投げかける。

「そうだな、何かあんのかもなァ」
「何かって何だ」
「なあそのケーキ食うの?残すの?」



 ブチャラティは意外と俊足の背中を追って袋小路まで追い詰めた。壁を背にして観念したのか女が振り返る。

「いったいどういうつもりなんだ、

 名を呼ぶと彼女は渋々といった様子でニット帽とマフラーを外した。現れた顔は気まずげで、あらぬ方向を向いている。

「変装までして、ヘタすりゃあ危ない目に合っていたかもしれないんだぜ」

 たまたま彼が居合わせたから良かったが、そうでなければ何らかの制裁が加えられたかもしれない。ブチャラティの顔つきが険しくなるのも道理だ。
 もそれは理解しているのか、存外素直に謝った。

「あなたの職場が、見てみたかったの。本当にごめんなさい」
「……それなら、なぜオレに言わないんだ」
「だって、迷惑でしょう?あなたはギャングなんだもの、職場見学なんて」
「なるほどな。光るもの、はこいつか」

 の肩には以前ブチャラティが彼女の誕生日に贈ったバッグが大事そうに抱えられている。
 煌びやかな刺繍と貝殻やビーズなどが散りばめられた、巨大な宝石箱のようなショルダーバッグだ。遠目だと角度によってナイフのように光ることもあるだろう。

「こいつ?このバッグのこと?」
「いや、こっちのことだ」
「これ、本当に嬉しかったの。ブローノがメアリーフランシスを知ってるなんて意外だったけど」

 知っていたわけではない。ブチャラティはそういった事に関して非常に疎いのだ。ただ、彼女が以前雑誌を見ながら可愛いと言っていたバッグがそのデザイナーのもので、予備知識があっただけだ。
 ブチャラティは短く息をつく。

「とにかくだ、。二度とヘタな変装なんてして覗き見はしないでくれ」
「……ごめんなさい」
「部下は皆信頼のおける仲間だが、君を敵と誤認してしまうかもしれない。そうなった場合君の身が危ないんだ」
「本当にごめんなさい、もう絶対にしない」
「良い子だ。これから君を皆に紹介する、来てくれ」
「えっ?」

 ブチャラティはそこでようやく笑みを作り、の頭に手を置いて撫でた。まるで子供をあやすように。

「これまでキチンと紹介していなくてすまなかった。さあ行こう」
「でもブローノ、何か私、その……無理やりみたいで、そんなつもりじゃあなかったの」
「オレは君をいたずらにギャングの世界に近づける気はない。だから呼ばなかった。だがそれを今は後悔している」

 ブチャラティが戸惑うの手を取り、二人はそろって歩き出す。
 路地を抜けたところですれ違った老人がやあブチャラティ、と声をかけてくる。アンタのアモーレかい?べっぴんだねえ、と老人はにこやかに笑った。



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