(異文化交流/プロシュート)

 プロシュートが目をすがめていると、が「どうぞ」と手で促した。

「プロシュートさん、そこから足を入れてみてください」

 円盤型の赤いチェックの布団、その中央にはチェス盤のような四角い板が乗っている。それはローテーブルに布団をかぶせたようなおかしな代物だった。

「これ、私の母国の暖房器具でこたつって言うんです」
「コタツ?」
「はい。とても暖かいですよ、どうぞ」

 どうやら支柱で区切った四方向から四人が同時に暖を取れるようだ。
 ウサギの穴にでも足を突っ込むような気分でプロシュートは長い足を滑り込ませる。強すぎるほどの射熱が足全体に触れた。

「どうですか?ぽかぽかしませんか?プロシュートさん」

 期待と不安を入り混じらせた顔でがプロシュートを見つめる。プロシュートは期待に応えるよう笑ってみせた。

「マジにあったけえんだな、いいんじゃあねえか」
「良かったです!」
「しかしよォ、こりゃあ構造はどうなってんだ」
「あ、プロシュートさんっ」

 プロシュートがコタツ布団を捲り上げると慌てて引っ込むの足。すかさず足首をつかむ。

「オレに脚見られんのがハズかしいのか?今さらだろォ」

 穴からウサギを引きずり出すようにぐいっと引っ張るとがきゃあと短い声を上げ、上半身までうずもれる。めくれ上がったスカートから現れた太ももが薄オレンジ色に染まった。
 内部はオイルヒーターのようなじんわりとした温かさとは違う、わりと強烈な熱さだった

「プロシュートさん、離して!」

 は普段色気もクソもないタイツを愛用しているが、今日はハイソックスだった。プロシュートはさらに引っ張り、コタツに頭を入れる。逃げようともがく彼女のひざ裏にキスをした。

「くす、くすぐった、プロシュートさん……!」

 丸い尻をひと撫でして開放してやるとはすぐさまコタツから這い出した。

「な、なにするんですか」
「別に噛み付いたワケじゃあねえだろ?そんな顔すんな」
「で、でも、びっくりして、」
「なあ、これはなんだ?果物か?」

 があまりにうろたえるので、プロシュートは話題を変え、テーブル板の上に目を向ける。そこにはオレンジやキノットを萎びさせたような小ぶりな果実があった。それが大きなカゴに山盛り積まれている。

「そ、れは、みかんです。母国の果物なんです」
「ミカン?うめえのか?」
「はい、こうやって剥くんです」

 はコタツの前に膝を折って座ると(意地でも足を入れないようだ)ミカンを一つつかみ取る。中央の芯の周囲に指を押し込んでそこから放射状にぺり、ぺり、と剥きはじめた。
 甘いような酸味のあるような香りが漂い、の細い指に果汁が滴る。
 丸い剥き身をどうぞ、とプロシュートに差し出すと、は指をぺろっと舐めた。
 ハイソックスもスカートも身包み剥いで取りあえず押し倒したい衝動に駆られるが、プロシュートは自重する。は日中の情事を嫌う。

「実家から送ってもらったんです。甘くてスゴク美味しいですよ」

 奥ゆかしいのが美学の国の女はひどく扱い辛い。
 どれだけ時間が経っても初心で、抱くときは未だに電気を消せとせがまれる。どこまで踏み込んで良いものか、どこまで汚して良いものか。

 プロシュートは受け取った丸い果実にそのままかぶりつく。口の中でぷしゅ、と果汁が弾けた。

「あ、ソレ、ひとつつず取るんです」
「あ?」
「いえ、いいです、その方が美味しそう」

 はもう一つをさっきと同じように剥くと、プロシュートのマネをしたのか丸ごと齧り付いた。







(君といる季節/ブチャラティ)

 季節の中で一番控えめなのは冬だと思わない?彼女は唐突に言った。
 ぎらぎら燃える太陽もないし、妙な物悲しさもないし、土を押し上げて芽吹く力強さもない。
 なにより冬は雪がキレイ、と白い息を吐き出しながら言う。

「君はつまり、雪が好きなんだな」
「違うわよ、雪は付属品。冬が好きなの」

 カシミアのマフラーに半分収まった唇が不満げに主張する。
 艶のあるレザーブーツはまだ卸したてなのか、の歩き方は二足歩行ロボットのようだ。

「どこか、そこらへんでエスプレッソでも飲まないか?」
「そういう気遣いブチャラティらしいね。でも大丈夫よ」

 ブチャラティが苦笑しているとが身体ごと向き直って彼を見つめる。

「冬はね、他の季節よりも服を沢山着るじゃあない?」
「そうだな」
「そのぶんお洒落ができるの。コートも選べるし、マフラーだって手袋だって」
「それはそうだが、控えめとはチョッピリ違うんじゃあないか」
「控えめよ、だって肌の露出が少ないもの」
「なるほど、君の言う通りだ」

 でしょ?と笑うがふいに空を仰ぐ。
 行き交う人々も示し合わせたように顎を上げ、うす曇りの空を見上げた。ぽつり、ぽつり、と雨粒が落ちてきている。

 はバッグから折りたたみ傘を取り出すとケースから抜いてぱ、と差した。意外にもシックな色味のその傘は、持ち手の部分がゴールドだ。

「これ、マードレのなの。私の趣味じゃあないわ」
「そうなのか」
「そうなのよ」

 ブチャラティは彼女の手から傘の柄を貰い受け、の肩が濡れないよう傾けた。歩く速度もゆっくりになる。
 石畳が徐々に色を変え、冬の雨独特の静謐さが辺りを静かに包み込む。

 傘のない男が手をかざして先を急ぎ、並んだベンチからはお喋り好きの婦人たちの姿が消える。
 よく言えば歴史ある、悪く言えば雑然とした古いだけの街並みも、雨のおかげで情緒ある風景に変わるから不思議だ。

 早くもわだちに溜まった水を無遠慮に飛ばして車が走り去る。
 まわりの景色をぼんやりと見ていたせいで、沈黙が続いていた事にブチャラティはようやく気づく。
 見るとは真剣な面持ちで傘の金具から落ちる雨垂れを見つめていた。
 大きな瞳が上下に忙しなく動き、飽きもせずにその軌道を追っている。放っておけばいつまでもそうしていそうだ。いや、その前に何かにつまづいてスッ転ぶのがオチか、とブチャラティは思う。

「え?なに?じっと見て」

 視線に気がついたが気恥ずかしそうに恋人を見上げる。

「すまない、君に見蕩れていたようだ」
「……ブチャラティって、前から思ってたけど気障よね」
「そりゃあ、君のせいだろ」
「え?どうして」
「聞きたいのかい?」

 はううん、と首を振ると含み笑いをして、ブチャラティの腕に自分の腕を絡ませた。
 ぱしゃぱしゃと飛び散る水滴が踊っている。雨は勢いを増すことも弱まることもなく降り続く。

「あーあ、雪にならないかなぁ」
「今夜は冷えるらしい、夜半にはなるかもしれないな」
「そうなったら、ワインを飲みながら雪見をしましょう」
「良い提案だ」







(とあるケーキ店/ギャングと盗賊)

 がショーケースを前に悩んでいると、背後から吹き抜ける風のような爽やかな声がした。

「すみません、このプディングを全部頂けますか」

 え?と店員の女性が聞き返す。

「えっと……二種類ありますが、どちらが」
「そっちです、そっちの限定品の方を」
「全部で二十個以上ありますけどよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ」

 上品な陶器のカップに入ったプディングがケースから全て取り出される。
 持ち帰り用の大きな紙袋が五つ並ぶ頃、は声の主をこっそりと盗み見た。
 目鼻立ちの整った美青年だった。小鼻が小さく鼻筋がすっと通っている。例えるならギリシャ彫刻のような端正さで、スタイルも良く、静かに佇むその姿は自然と目を惹きつけられた。ただ、すぐに違和感に気づいた。

 青年は見るからに高級そうなスリーピーススーツに身をつつみ、首元にはギャング映画で見るような長いマフラーをかけている。靴はよく磨き上げられた革靴で、頭のてっぺんからつま先まで隙が無い。
 まだ若いと言うのにこの貫禄。ような、じゃない。これは本物だ。とが考えたとき、

「ぼくの顔に何かついています?」

 正面を向いたまま青年が言った。彼女は飛び上がりそうになった。

「えっ、いえ、何も」
「オメーよォー、こんなに買って誰が食うんだァ?」

 割り込んできたのは面白い帽子を被った男だった。何とはなしに目を向けたは絶句する。帽子の彼の腰には黒々と光る拳銃が何とも無造作に突っ込まれていた。

「ですがミスタ、ここのプディングは本当に美味しいんですよ」
「いくらうめぇーからってよォ、限度っつーモンがあんだろ限度がよォー」
「時間帯によっては売り切れているんです。こんなに残っているなんて珍しいことなんだ」
「だがよォ、賞味期限は今日中だろ?どうすんだよ」
「フーゴや、他の皆にもふるまえばいい。あ、五つはぼくの分ですよ」

 ショーケースの中からは限定のプリンが消え、三分の一の値段の普通のバニラプリンだけが残されている。彼らが立ち去った後も店内はどことなくざわついていた。
 ドアの方をぼんやりと見ていた売り子の女性がはっと顔を戻す。

「お決まりですか?」

 慌てた様子でそう言うと、に笑顔を見せた。

「あ、はい、えっと」

 ケーキを買うという本来の目的をすっかり忘れていた。は並んだ商品に視線を泳がせる。そのとき、視界の端に黒いブーツが映り込んだ。

 顔を上げると漆黒のロングコートを着た男が顎に手を添え、ショーケースを射抜くような目で見つめていた。は再び驚くことになる。先ほどのブロンドの青年とはまた違ったオリエンタルな美青年がそこにいた。

「プリンは売り切れたのか?」

 男が言った。店員の女性は困ったような口調で返す。

「限定品の方ですか?すみません、ついさっき売り切れてしまって」

 どれだけ美味しいのだろう、と興味が沸く。買い占められる前に一つでも買っておけばよかった。出張でやってきた街の可愛い洋菓子店になんとなく足を踏み入れただけのにはお勧め品がよくわからない。

「こちらのバニラプリンならまだありますよ」

 店員の女性がセールストークをする。頬には赤みが差していた。これだけ綺麗な男を目の前にすれば当然の反応とも言えるが、にはどうにも違和感があった。男は微笑んでいるが、笑っているのは口元だけでその目には感情がない。背筋が冷たくなるような冷ややかさがあった。

「俺が欲しいのは限定品の方だ。ないなら今から作ってくれ」

 え?とその場に居合わせた誰もが思った。
 男は「俺はそこで待っている」と告げると店内に併設されたカフェテリアコーナーに腰を落ち着けた。どこからか取り出した文庫本を開く。
 戸惑う売り子に代わり、厨房から現れたコック帽の男が黒尽くめの彼に歩み寄った。誰もが固唾を飲んで様子を見守っている。

「すみませんお客様、あのプディングは一日三十個の限定商品ですので、申し訳ありませんが」
「パティシエはお前か?」
「はい、そうですが……」
「あれは本当にうまいな」
「は?あ、ありがとうございます。あの……」
「ちょっと団長、何やってんのー?皆待ってるよ」

 突然割り込んできた声の主はの前を横切ってカフェテリアコーナーに向かう。彼もまた信じられないくらい可愛らしい容姿をしている。今度の彼も金髪碧眼だ。

「え?プリンないの?だったらまたにしなよ、時間ないんだからさ」

 どうやら彼は常識人のようだ。居合わせた客たちがほっと胸を撫で下ろす。妙な連帯感が生まれていた。

「そうだな、またにするか」

 黒尽くめの男は本を閉じて腰を上げる。一方可愛い青年は店内に目を巡らせると、腰を屈めてショーケースを覗きこんだ。

「ねえ団長、ちょうど良いからいくつか盗って行こうよ。俺あのモンブランにしよっかな」
「ケーキごときで人死には出すなよ、特にあのコック帽の男はな」
「なんで?」
「あの味が作れるのはあの男だけだ」
「あはは、了解」

 彼らの会話はどこか異次元で、何を言っているのかイマイチわからない。

「抵抗はしないでね。血の味のするケーキなんて食べたくないからさ」

 可愛らしい青年はコック帽の男に言うと、にっこりと天使のような微笑みを浮かべた。







(完璧なるもの/クロロ)ネームレス

 あなたは自分が不完全だから、足りない何かを補うために際限なく欲しがるのよ。いつだったか女にそう指摘されたことがある。クロロはなるほどな、と妙に納得した。

 だが物欲に対する理由ができた所で、何をどうするわけでもない。これまで通り、欲しければ奪う。飽きれば売る。それだけだ。

「何でも手に入る状況って言うのは、不幸でもあるんだよ」
「どうして?幸せじゃないの?」
「だってすぐに飽きちゃうじゃない、次の物がすぐに手に入るから。それって不幸なのよ」

 彼が思わず足を止めたのは、そんな会話が耳に入り込んできたからだ。
 玩具店の前で地団太を踏む幼児に少女が諭すように言っている。幼児は首をひねり、よくわかんない、と言う。
 わりと的は得てはいるが肝心なことを少女は口にしていない。アンフェアだ、と彼は思う。

「団長、どうしたんですか」

 急に立ち止まったクロロをシズクが不思議そうに見上げる。つられるようにフェイタンも足を止めた。
 日が暮れ始めた街路を彼らは歩いていた。

「すぐに戻る」

 そう言い残してクロロは場を離れた。彼が近づくと幼い四つの瞳が怯えて揺れる。
 長いコートが怖いのか額の十字架が怖いのか、それとも彼の本質を目ざとく見抜いて慄いているのか。

「お前たちの親はどこにいる」

 クロロが問う。幼い姉弟は顔を見合わせ、示し合わせたようにかぶりを振る。

「いないのか」
「あの、育ててくれてる人はいます」

 少女が怯えながらも勝気な眼差しを向けた。
 二人は満足に食事も与えられていないのかやせ細り、棒のような手足には殴打の痕があった。色素沈着の具合から見ても以前から執拗にその行為が繰り返されていることがわかる。

「君にこれをやろう」

 クロロはコートから取り出した財布を少女の小さな手に握らせた。

「現金とカードが入っている。好きに使え」
「え、あ、あの」
「うまく立ち回って慎重に生きていけ、ハイエナのような輩に搾取されたくなければな」

 彼は片膝をついて少女の耳元に顔を寄せるとカードの暗証番号を耳打ちした。

「あの、ま、待ってください……っ」

 立ち去ろうとした男に少女が声を投げた。

「どうしてこんな……あ、あなたは何者ですか……っ」
「俺の名はクロロ=ルシルフル、盗賊だ」

 少女の瞳が打ち震える。それでも手にした財布を胸に抱え、もう一方の手で弟の手を強く握り締めている。

 不用意な行動で数分後に盗まれるのも育ての親に根こそぎ奪われるのも懐柔されるのも自由だ。
 人は全て、どんな状況下であっても自分の意思を持って生きている。

「団長、慈善事業てヤツね」
「いや、そんなんじゃない」
「でも、お金もカードもあげちゃったんですよね?」
「まあな」

 二人の姉弟は歩き去る男たちの背中をじっと見送っている。
 二人はもう、暴力の温床となっている家には戻らないかもしれない。そうして案外上手く生き延びていくのだろう。そういった強かさを少女に感じた。だが、とクロロは思う。
 まず間違いなくあの少女の価値観は変わる。財布を手にする前の自分にはもう戻れない。人間は弱い生き物だからだ。

 歩きながら彼は考えていた。

 俺はあと何を手に入れたら空風が通り抜けるこの身体を満たすことができるのだろう。それともそれ自体が幻想なのか。夜が明ければ消えるイルミネーションのように。

 サイを投げたのは、俺か、少女か。



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