※拷問描写あり

白眉の時間



 四方を打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた狭い部屋。窓はなく、固く閉じた鉄製の扉と監視カメラが一つ。
 部屋の中央に置かれた椅子に、男が一人座っていた。今この場にはそぐわない優雅さで足を組み、煌々と照らす蛍光灯が頬にまつ毛の影を落としている。
 男が足を浮かせたのでは身を硬くするが、ただ単に足を組み替えただけだった。

「そう、怯えないでください」

 男が言う。あまり抑揚のない声だ。
 この手のタイプはやっかいだ、と彼女は思う。もっと直情型の人間の方が付け入る隙もある。この男はきっと、顔色一つ変えず、眉一つ動かさずに人を殺せる人間だ。

「まだ喋る気にはなりませんか。こちらの質問に一つ、答えてくれるだけでいいんですが」
「……殺しなさいよ」

 床を舐めるような視線をなんとか持ち上げ、は男を睨みつける。彼女は今、後ろ手に縛られ転がされている状態だ。縛っているのは紐ではなく、植物の蔦だ。それはこの男、パッショーネのボス、ジョルノ・ジョバァーナの能力のようだ。
 ジョルノは椅子に深く腰掛けたまま、両手を組み合わせる。静かな声で言った。

「こちらもね、部下を殺されているんです。楽には死ねませんよ」

 それでもいいですか、とやけにゆっくりと、一言一句をはっきりと喋る。それがよけいに恐ろしい。
 ここはおそらく尋問部屋だろう。空調が稼働しているので室内は適温に保たれているが、彼女の全身からは汗がふき出している。それに反して背筋は凍り付くように冷たい。
 なんとか立ち上がろうと身じろぎするが、四肢を拘束された状態では難しい。足首に絡まる蔦がするすると伸びて太ももに絡みつく。蔦には刺があり、ちりっとした痛みと共にストッキングが破れ、赤いひっかき傷が幾重にもできた。
 いつの間に距離を詰めたのか、よく磨き上げられた靴先が視界に入る。頭上から冷ややかな声が落ちた。

「まずは右腕を折ります。大丈夫ですよ、一瞬ですから」

 彼が言い終わると同時、の右腕に激痛がはしる。からからに乾いた喉から悲鳴が上がった。

「三秒待ちます。言わなければ次は左腕を」

 痛みで飛びそうな意識を持ちこたえるため、は唇を強く噛む。この男の前で失神するのは我慢がならなかった。

「ウーノ」

 右腕は不自然な方向に折れ曲がり、焼けつくような痛みと共に熱を持つ。は必死で考えた。この絶望的な状況から逃れる方法を。蔦はすでに全身に絡みつき、身動き一つ取れない。

「ドゥーエ」

 は這いつくばったままもがくが、「トレ」その声と同時に左腕に激痛。彼女の叫び声が静寂を切り裂いた。
 方法などなかった。機能を失った両腕と自由を奪われた体。唯一の脱出口である扉の向こうには彼の腹心グイード・ミスタが控えている。今いる場所は彼らの組織のただ中で、能力は封じられ、武器すら奪われた状態の女が逃げおおせるはずがなかった。

 それなら、とは覚悟を決める。このままなぶり殺しにされるくらいなら。いや、もっと恐ろしいのは拷問に耐えきれず自白してしまうことだ。
 は両目をきつく閉じ、一思いに舌を噛み切った。はずだった。

「無駄……って言うんですよ。あんたのしていることは」

 彼女の霞む視界に映ったのは、己の顎を無理やり持ち上げる靴先だった。血であふれるはずの口内は今、ねじ込まれた蔦で一杯だ。何か喋ろうとしても唾液が零れるだけで言葉にはならない。

「ふっ……ぐ、」
「今から口の拘束をとりますが、舌を噛もうとしたらまた突っ込みますよ。手間はかけさせないでくださいね」

 まあ、噛み切ったところで作ればいいですが、と男は小さくつぶやく。何を言っているのかわからなかったが、考える余裕もなかった。もっと早く決断すべきだったのだ。この状況で彼女ができたのは、逃げる算段ではなく一刻も早い自死だった。それはもう叶いそうもない。

 左足、右足、続いて左目も潰された。生暖かい液体が止めどなくあふれて床を濡らす。
 次第に痛みは薄れ、視界が不自然に揺らぐ。これは良い兆候だ。痛みを感じるうちは体はまだ生きようとしている。の肉体はもうゆるやかな死へと向かっていた。

「どうです。まだ喋る気にはなりませんか」
「……残りの、目も……」

 潰して、とかすれる声で言う。ジョルノ・ジョバァーナは微笑を浮かべた。

「いい覚悟ですね」

 言いながら、の体を蹴って反転させる。
 頭上の蛍光灯が強烈な光線を投げかけて残った方の目を刺す。定まらない視界に見たくもない男の顔が入り込み、は痙攣する顔をしかめた。直後、唯一残った右の視界も暗転する。靴底で踏みにじられるが感覚はなく、「もうすぐ死ねる」その安心感で満たされた。
 彼は小さく息をつくと、おもむろに足を上げ、血液と体液で濡れた靴底に目をやった。

「あんたの忠誠心には感服します。いくら過去に命を救われたからと言って、ああ、すみません。調べさせてもらいました」
「……」
「あの程度の男に命をかけて仕えるなんて、そうできることじゃあない」

 ジョルノは命の消えかけた女に向かって独り言のようにささやく。彼は上着を脱ぐと、それを椅子に放り投げた。

「きっとあんたはどんな拷問でも喋らないでしょうし、もう止めます。無駄は嫌いですから」





 弛緩していた手足に力がこもり、失ったはずの視界も戻る。室内を煌々と照らす蛍光灯がの目に映った。
 蔦の拘束は解かれている。指先が動き、腕も持ち上げることができる。手足の骨は粉砕され、両目は潰されたはずなのに。
 もしかしてあれは悪い夢だったんだろうか。そんなことを考えながらが上半身を起こすと、コンクリートの壁に軽くもたれて腕を組む、ジョルノ・ジョバァーナの姿があった。

 はすぐさま身を起こし、鉄扉に突進した。しかし扉は当然のように施錠されておりびくともしない。背後に気配を感じて飛び退くが、背中に衝撃を受け、冷たい壁に叩きつけられた。

 胸倉をつかまれたの眼前に、ジョルノ・ジョバァーナの美しい顔がある。
 己をこれほど痛めつけ、圧倒的な恐怖で支配する男を彼女は不覚にも美しいと感じた。イタリア人だと聞いていたが、違う血も混じっているのかもしれない。
 別の場所で会ったなら見惚れてしまうだろう美貌。細い金糸のようなブロンドと、引き締まった端正な顔立ち、そこにまとわりついた非情さが彼の外貌を形作っていた。

 ふと、は既視感を憶える。足元からよじ登ってくる不快な感触。
 彼によって命を与えられた植物の幹が急速な成長を遂げ、今再びの全身を捕縛する。

「なに……するの」
「痛みを与えても無駄なようなので」

 涼し気で、爽やかさすら感じる男の瞳に、先ほどまでとは違う劣情が浮かぶ。彼女はこれからされる仕打ちを理解した。心臓が激しく動悸した。

「……そんなことで、私が喋るとでも」
「さあ」

 そんなことはどちらでもいい、とでも言いたげな顔での両手首をつかむ。
 彼女の体を巻き込むように成長した幹が天井近くまで伸び、蔦とは違った硬さで拘束する。ジョルノはネクタイを緩めて引き抜くと、頭上まで持ち上げたの両腕と枝をきつく結び合わせる。彼女は万歳をした状態となった。

「腕だけは縛らせてもらいます。抵抗されるのも面倒なんで」

 鮮血で染まったのシャツのボタンを一つ、また一つと外す。先ほどまでの負傷は全て完治していた。どんな方法かはわからないが、彼女はなんらかの方法で”治されて”いた。に知る由はないが、大量に失ったはずの血液も補充されている。
 手負いの状態ではなく、あくまで五感を戻した上で凌辱するつもりなのだ。

「あなた、女には困っていないでしょう……喜んで股を開く女を相手にしたらどうよ」
「あんたみたいな女がどんなふうに啼くのか、少し興味があるだけです」

 が唾を吐く。ジョルノ・ジョバァーナは頬についたそれを手の甲で拭うと、なぜかとても可笑しそうに笑った。

「ぼくではなく、この枝に相手をさせましょうか」
「……殺せ」
「それを決めるのはぼくだ。生殺与奪の権利はこちらにある」

 まるで玩具を与えられた子供のようだ。
 が性懲りもなく舌を噛み切ろうとするが、予想通り侵入した枝が邪魔をする。ささくれで口内が傷つき血がにじんだ。

 目尻から伝い落ちた涙が顎先を通って剥き出しの胸元に落ちる。
 コンクリートの壁、白い天井、一脚だけ置かれた簡素なパイプ椅子、他には何も無い部屋。監視カメラだけがじっと二人を捉えている。

「気になりますか?カメラが」
「……っ」
「心配しなくても、スデに切ってありますよ」

 彼は微笑んだ。よどみのない美しい笑みだった。




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